ラオス、ルアンパバーン郊外 モン族の村 [海外旅行]
ラオス、ルアンパバーン郊外のモン族の村を訪れました。
この村はルアンパバーンから南西方向の山岳地帯へクルマで45分入ったところにあります。
ルアンパバーンの町を外れると道はダートとなり、ところどころにたたずむ田舎の集落を見ながら進みます。
車道のどん詰まりに目指すモン族の村、バーンロンラオ村がありました。
正確に数えていませんが戸数は30ほどだったと思います。ツアーなどで訪ねることができる山岳少数民族の村は観光地化されている場合が多いですが、ここはまだ観光客ズレしていなく、生の集落の姿を見ることができました。
村の入り口にあった小学校。当日は休みのようでした。
日本の援助で建てられています。
この村にあるのは小学校のみで中学校以上はルアンパバーンまで行かなくてはなりません。また先生方も毎日バイクなどで町から通ってくるとのことです。
一般的な住居。
バナナの木もたくさん植えられていました。
塀がサボテンという住居もいくつかありました。
高床式の倉庫でしょうか。柱には金属が巻かれていて野生動物などの侵入を防いでいるようです。
鳥小屋もいくつかありました。鳩が出入りしていました。何のための鳥小屋でしょうか(聞くのを忘れました)。
地面ではないところで玉ねぎを植えているのも野生動物から守るためなのでしょうか。
あるお宅の中を見せてもらいました。これは台所?
煮炊きができる土間。家族団らんの場でもあるようです。
電気は通じていました。テレビ、冷蔵庫も備わっていました。
寝室の様子。蚊帳が備え付けられていました。
トイレはどうするのか???でした。
家の中に電気は引かれていますが、水道はありません。
水道は村内に何ヶ所かある共同井戸を利用するようです。こちらも日本などの支援で作られたそうです。
井戸がまだ無いときは、屋根に降り注ぐ雨水を導いてドラム缶にためて使用していたようです。
こちらのお宅は火事にあってしまったそうです。電気関係のトラブルで発火したとのことでした。
薄い木材でできた家屋、消火器もないので火事になったらひとたまりもないのでしょう。
家財道具、銀行からおろしたお金、全て燃えたそうです。隣が親戚の家なので、そこで当面暮らすようですが、再建はできるのか分かりません。お気の毒です。
このような現場を見るとお金を少しでも置いていきたい気持ちになりますが、特定の個人への勝手な援助は慎まなければならないのでしょうね。
モン族はモン語という独自の言葉を話すようです。もちろん学校でラオス語を習うのでほとんどの人はラオス語で会話ができます。しかし一部の人はラオス語を話せず、ガイドさんも言葉が通じない場面もありました。
また、モン族は藍染の織物や民族衣装で知られていますが、この村では藍染の光景や織物を見ることはできませんでした。
最後に、村でみかけた元気な子供たちです。
無邪気な子供たちをみると、こちらも何だか元気をもらっているような気分になりました。
この村はルアンパバーンから南西方向の山岳地帯へクルマで45分入ったところにあります。
ルアンパバーンの町を外れると道はダートとなり、ところどころにたたずむ田舎の集落を見ながら進みます。
車道のどん詰まりに目指すモン族の村、バーンロンラオ村がありました。
正確に数えていませんが戸数は30ほどだったと思います。ツアーなどで訪ねることができる山岳少数民族の村は観光地化されている場合が多いですが、ここはまだ観光客ズレしていなく、生の集落の姿を見ることができました。
村の入り口にあった小学校。当日は休みのようでした。
日本の援助で建てられています。
この村にあるのは小学校のみで中学校以上はルアンパバーンまで行かなくてはなりません。また先生方も毎日バイクなどで町から通ってくるとのことです。
一般的な住居。
バナナの木もたくさん植えられていました。
塀がサボテンという住居もいくつかありました。
高床式の倉庫でしょうか。柱には金属が巻かれていて野生動物などの侵入を防いでいるようです。
鳥小屋もいくつかありました。鳩が出入りしていました。何のための鳥小屋でしょうか(聞くのを忘れました)。
地面ではないところで玉ねぎを植えているのも野生動物から守るためなのでしょうか。
あるお宅の中を見せてもらいました。これは台所?
煮炊きができる土間。家族団らんの場でもあるようです。
電気は通じていました。テレビ、冷蔵庫も備わっていました。
寝室の様子。蚊帳が備え付けられていました。
トイレはどうするのか???でした。
家の中に電気は引かれていますが、水道はありません。
水道は村内に何ヶ所かある共同井戸を利用するようです。こちらも日本などの支援で作られたそうです。
井戸がまだ無いときは、屋根に降り注ぐ雨水を導いてドラム缶にためて使用していたようです。
こちらのお宅は火事にあってしまったそうです。電気関係のトラブルで発火したとのことでした。
薄い木材でできた家屋、消火器もないので火事になったらひとたまりもないのでしょう。
家財道具、銀行からおろしたお金、全て燃えたそうです。隣が親戚の家なので、そこで当面暮らすようですが、再建はできるのか分かりません。お気の毒です。
このような現場を見るとお金を少しでも置いていきたい気持ちになりますが、特定の個人への勝手な援助は慎まなければならないのでしょうね。
モン族はモン語という独自の言葉を話すようです。もちろん学校でラオス語を習うのでほとんどの人はラオス語で会話ができます。しかし一部の人はラオス語を話せず、ガイドさんも言葉が通じない場面もありました。
また、モン族は藍染の織物や民族衣装で知られていますが、この村では藍染の光景や織物を見ることはできませんでした。
最後に、村でみかけた元気な子供たちです。
無邪気な子供たちをみると、こちらも何だか元気をもらっているような気分になりました。
こんにちは。わたしのラオスの旅は、タイのチェンコーンからバクベンにわたりスピードボートでルアンパバーンに下るという当時のゴールデンルートをたどりました。途中、寄港地ごとに警察に出頭しなくてはいけなかったので、結構緊張しましたが、当時は沿岸で材木運びをする現役のゾウなども見られて面白かったです。現地であった日本人旅行者はスローボートでこのルートを下った時にボートにわたりそこなって泥の河に落ちたといっていました。(笑)
ルアンパバーンでは周辺の集落に2,3行ったのですが、どこに行ったのか記憶があいまいです。
by やまびこ3 (2014-05-31 23:29)
やまびこ3様
こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
チェンコーンからのルートだったのですね。私もチェンコーンからメコン川を下ってみたいと思ったことがありましたが、当時はスケジュール合わず断念しました。10年ほど前は東南アジアへよく旅行行っていましたが最近は全く海外行ってなく、今回思い立って本当に久しぶりに旅行しました。
私の時はゾウは残念ながら見れなかったです。ルアンパバーンもタイやベトナムから直行便で行くことができるようになって、短時間でも旅行できるようになりました。そんな中で周辺の村々にはラオスらしい素朴さも残されているところもあってなんだかほっとしました。
by TakiHaru (2014-06-01 18:35)