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南へ北へ その2・・・天草 﨑津集落 [町並み・集落 散策]

こんにちは。

天草の﨑津集落に立ち寄りました。
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﨑津集落は小さな入り江に沿った細長い集落で、漁港、集落、そしてその中心に位置する﨑津教会が独特の美しい風景をかたち作っています。
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集落内を歩いてみました。集落内を通り抜ける車道は狭く、その他の道も細いです。まず﨑津教会へ向かいました。
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以下、『』内の文は現地で入手した﨑津・今富まち歩きマップから引用しています。

『﨑津教会は長崎の建築家・鉄川与助の作です。ゴシック様式の教会で、昭和 9 年に建てられました。建てられた土地は、キリシタン取り締まりの絵踏が行われた庄屋屋敷跡が選ばれ、絵踏が行われた場所に現在の祭壇が配置されたと言います。教会内部は国内でも数少ない畳敷きです。』
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ミサなどの儀式が行われているとき以外は入館できるようですが、拝観するときのマナーがパンフレットに書かれています。内部の写真撮影は禁止です。

集落は山と海に挟まれた狭い土地であるがゆえの特長を見ることができます。

「トウヤ」という狭い路地。
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『湾内のわずかな平地に家屋が密集しているためトウヤと呼ばれる幅約 90 cmの小路が数軒ごとに通り、漁村の生活に密集した交流の場にもなっています。』

「カケ」という海へ張りだしたベランダのような構造物。
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『海上に竹やシュロを利用したカケと呼ばれる構造物が設けられており、係船や魚干しなど、生活上の施設として利用されていました。』

写真を撮ったカケは﨑津に 4 軒あった中で唯一現存している旧網元宅(現在は休憩処になっています)のカケで平成 23 年に再築したとのことです。

外海へと続く岬の上にマリア像。
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『海上へ向かって佇むマリア像。静かな時・荒天の日ここを行き来する船人、漁人達に海の道しるべ、心の灯となるよう多くの人々の協力を得て建てられました。またマリア像の向こう側に沈む夕陽が、ロマンティックな雰囲気を演出し、天草夕陽八景の一つに数えられています。』

南西方向へ開けているため、ちょうど夕陽が海に沈むのを見れる時季は 10 月から 2 月頃だと思われます。

集落は小さいので要所は 1 時間足らずで歩いて巡ることができました。途中、海から風に乗って磯の香り、また干物屋さんからはおいしそうな魚の香りが漂ってきていました。

当日は雨上がりでとても蒸していたため、歩いているだけで汗だくになりました。﨑津の猫さんも蒸し暑くてのびていたようでした。
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この日は天草下田温泉の湯の郷くれよんさんに宿泊しました。
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下田温泉の奥に位置する離れの宿で、かけ流し温泉の大浴場、露天風呂のほか、各部屋に露天風呂が設けられています。宿泊した部屋の露天風呂は普通の家のバスタブのような造りだったですが夜中に星空を眺めながら入浴してみたいと思っていました。しかし夜はものすごい豪雨で入浴どころではなく、ようやく朝方雨が小降りになってから雨に半分濡れながら露天風呂に入りました。ザッバーンとあふれ出るかけ流しのお湯はとても気持ち良かったです。

また、このお宿の食事は豪華でした。特に夕食のお刺身はとても量が多く、刺身そのままのほか後でしゃぶしゃぶにしていただくことができます。初めていただくメニューではクリームが乗った茶碗蒸し、棒状の面白い形のマテ貝の茹で物(味はシジミに似ていると感じました)がありました。朝食も量が多く、チェックアウト時に途中お腹が空いたときにとおにぎりと惣菜パンをいただきました。私にとってしょっちゅう行ける場所ではありませんが、また天草へ行ったら宿泊したいお宿でした。


南へ北へ その3 へ続きます。
(その1は こちら


★最近のはるちゃん★

真夏に登場、パソコン用の冷却マットにペルチェ冷却実験キットを置いてひんやりベッド。(もちろん部屋はエアコンも入れています。)
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ペルチェ実験キットを置いてもギンギンに冷える訳ではありません。ほんのり冷たくなる程度ですが、それが逆にはるちゃんのお腹を余計に冷やすことにならず、はるちゃんにとって居心地が良い場所になっているようです。

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冬の散歩・・・谷浜、名立、筒石、能生小泊 [町並み・集落 散策]

こんばんは。

前回の N ゲージレイアウトの製作の記事で、もう少ししたら着手することになるシーナリィは冬の日本海沿いの風景を考えていると書きました。そのイメージを固めるべく、散歩がてら鉄道と漁港、漁村を訪ねてきました。訪ねたのは地元上越市から糸魚川市にかけての海岸沿いです。

えちごトキめき鉄道、日本海ひすいライン谷浜駅です。1 年前まで北陸本線として特急列車が多数行きかう JR 西日本の最東端駅でした。
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昭和 44 年の複線電化を機に直江津-糸魚川間の線路が山側へ移設されトンネルばかりになった区間ですが、ここ谷浜をはじめ有間川、浦本、梶屋敷の各駅は駅の位置が変わらなかったため、古い駅舎が残っています。レイアウトに設ける駅舎は、こんな駅舎にしてみたい。

現在は貨物列車以外、ほとんどが単行または 2 連の気動車になってしまいました。
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複線電化される以前の旧北陸本線は海岸ぎりぎりを走っていました。現在、路盤は久比岐自転車歩行者道に再利用されており、トンネル、橋台、側壁などが当時のまま残っています。側壁、雪崩除けなどの構造物は参考になりそうです。
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・・・名立付近まで来たところで、吹雪が激しくなり、この日は散策を中止。

一週間後に続きです。名立の町並みの様子。さらっと雪が積もったあとで、目指すシーナリィにちょうどよい雰囲気。
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トンネルに挟まれた名立駅に立ち寄り。ちょうど上下普通列車の発車時間が重なりました。両列車とも魚や花のデザインが施されたイベント兼用車両でした。
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それほど積雪が多くなくても枕木が雪に埋もれていますが、レイアウトでは枕木を露出させたいと思っています。

続いて、筒石です。古い舟屋が続いています。地すべりが多い地域であり、後ろの断崖全面が網の目のようにコンクリートで保護されています。
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有名な丹後半島伊根の舟屋は干満の差がほとんどない湾内のため水面ぎりぎりに舟屋が建てられていますが、ここは波の荒い外海に面しているため、高い位置に舟屋が建っています。
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船を引き上げるのがたいへんなのではと思います。
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昔は防波堤に囲まれた漁港内だったようです。
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沖合にポツンと残った電柱。もっと高い波のときや、または夏場に夕陽をバックにすると絵になりそう。舟屋と電柱の情報は上越タウンジャーナルの 過去記事 を参考にしました。
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筒石集落は狭い土地に家が寄り添うように立ち並び、3階建ての住居が多いのが特長です。(この写真は一昨年 11 月の写真)
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現在の筒石漁港。木造建築が多く残っています。漁協の事務所。
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大きな木造の舟屋。
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厳しい冬の風雨にさらされて、ところどころ朽ちています。
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筒石漁港の木造の建物群も味があります。ぜひシーナリィに取り入れたいです。

さらに西へ。能生漁港がある小泊地区へ来ました。かにの直売店で知られる道の駅能生にクルマを置いて散歩しながら集落へ向かいます。
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旧北陸本線の小泊トンネルをくぐります。
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自転車歩行者道になっていて照明がつき、また煉瓦の上にコンクリートが巻かれているため、トンネル内部は明るいです。
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トンネル内は風雪が避けられて歩きやすいためか、集落の人たちのウォーキングコースになっているようです。
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抜けたところは集落の中。ここに昔は列車が走っていたのか・・・
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線路跡は漁港と家並みを見下ろしながら緩く曲線を描いていました。
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小泊地区は、U字形の湾に設けられた能生漁港を取り囲むように家並みが続いています。
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集落の中はクルマが入れません。細い路地が網の目のように設けられています。
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いちばん下に国道 8 号線が通っていて、国道を渡って漁港へ降りました。

漁港から見た、小泊地区の階段上に連なった家並み。
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能生漁港には筒石のような舟屋がなく、同じ造りの小さな倉庫がずらっと並んでいました。
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かつては海岸沿いを走っていた北陸本線が地すべりなどの災害を避け、トンネルばかりのモグラ路線になったきっかけの一つが小泊地区で発生した地すべりです。漁港に糸魚川ジオサイトの案内看板があり、地すべりのことが書かれていました。

引用しますと「1963 年 3 月 16 日午後 4 時 30 分ころ、小泊の西側斜面で地すべりが発生し、普通列車(敦賀発直江津行き、7 両編成)が白山トンネルを出たところで地すべり土砂に乗り上げ 20 分後の第 2 波の地すべりによって機関車と先頭の客車が海の方へ押し流されました。この地すべりによって死者 4 名、負傷者数名、全壊家屋 25 戸、半壊家屋 3 戸の被害がありましたが、列車の乗客 150 名には一人のケガ人もありませんでした、この小泊地すべりはその後の北陸本線トンネル化の契機となりました。」

写真の中央の斜面が地すべり跡です。
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「海岸沿いを走っていた北陸本線は開業以来、浦本駅-直江津駅間で約 70 回の地すべりに襲われた。」とのことです。なぜ地すべりが多いのかは「この地域の山々はフォッサマグナの海底にたまった 300〜100 万年前の堆積岩や火山噴出物でできており、200 万年前に始まった隆起運動によってよく固まっていない堆積岩が陸上へ持ち上げられた結果、地すべりを引き起こすことになった。」と案内板に書かれていました。

最近は筒石で見られたような防災工事が施され、あまり地すべりの話は聞かなくなったように思います。

いずれにしても散策して目にした風景、筒石の木造の舟屋や 3 階立て住居、能生小泊のU字型の湾を取り囲むような漁港と集落、それを見下ろすように走る列車。こんな様子をシーナリィで作ってみたい・・・実際に作れるかどうか???ですが、妄想だけはどんどん大きくなった冬の散歩でした。


★おまけ:最近のはるちゃん★

トンネル通過中。
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美山 かやぶきの里 [町並み・集落 散策]

 こんばんは。
 京都府南丹市、旧美山町の北集落に立ち寄りました。北集落はかやぶき屋根の民家が多く保存されており、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
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 50 戸のうち 38 棟がかやぶき屋根とのことです。手前を流れる、由良川の上流の美山川では夏、鮎がとれるそうです。
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 北集落といえば、集落入口の赤い郵便ポストとかやぶき屋根の組み合わせた写真をよく目にします。若狭湾で採れた魚介類を京の都へ運んだかつての鯖街道が民家手前を横切っています。
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 かやぶき屋根は北山型と呼ばれ、屋根の上部は長辺側 2 方向の傾斜、屋根の下部は 4 方向の傾斜となった入母屋造りです。
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 屋根の上には千木と呼ばれる雪を左右に割って滑りやすくした木製の雪割りがつけられています。日本海に近いことから雪もそれなりに積もるようです。
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 全戸に消火用の放水銃が設けられているとのこと。5 月と 11 月に点検のための一斉放水が行われています。
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 民家の周りには色とりどりの花々が咲いていました。
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 ほとんどすべての畑は網で囲われています。動物被害も多いのでしょうか。集落と背後の山林の間に鹿避けの柵も設けられているようです。
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 北山杉の産地に近いため、背後の杉林も立派です。
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 美山町を通っていると、ところどころでかやぶき屋根の民家を見ることができますが、集中しているのは、ここ北集落になります。

 これだけのかやぶき屋根が残されている集落は、日本でもう数えるほどになってしまいました。かやぶき屋根と里山、心がなごむやさしい日本の原風景、春夏秋冬いつ来ても美しい風景に出会えそうです。


★おまけ:最近のはるちゃん★

 びろーん
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山城の町 竹田 [町並み・集落 散策]

 こんばんは。
 天空の城、あるいは日本のマチュピチュと呼ばれる兵庫県朝来市の竹田城跡とその城下町である竹田の町。雲海とはほど遠い真夏の日中でしたが、どのようなところなのか訪ねました。

 まず、雲海に浮かぶ竹田城の撮影地で知られる、竹田の町をはさんだ対岸の山腹、立雲峡に立ち寄りました。
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 駐車場に近いところから順に第三、第二、第一展望台があります。上写真は第三展望台からです。もっと高いとろにある第一展望台まで登ると、竹田城が見下ろせる位置になるはずですが、徒歩 30 分とのこと。あとで竹田城まで登ってみる予定でしたので、ここで登るのはやめ、第三展望台からの景色にとどめました。

 続いて竹田の町歩きもしながら竹田城へ登ってみました。以後、城より鉄分に関することがやや多めです。

 竹田城の城下町。ところどころ古い家並みが残っています。
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 播但線竹田駅。地味な駅ですが、このような駅構内の雰囲気、好きです。
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 パンフレットによると和田山ゆきホームの待合室は播但線開通当初から残る歴史遺産で、柱には明治 39 年 4 月竣工のプレートがあった、と書かれていました。
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 ちょうど和田山ゆき単行気動車がやってきました。
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 駅裏はお寺が立ち並ぶ寺町通りで、小川には鯉も泳いでいます。
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 竹田の町から竹田城へダイレクトに登る道は 2 本あります。表米神社登山道という距離は短いが急な階段が連続するコースと、一般向けの駅裏登山があり、私は駅裏登山道を行くことにしました。

 登山道入口に飲料水を持っていくように注意書きがありました。この周囲で飲み物を買えるだろうと思って手ぶらで来ましたが、自販機も何もなく(見落としかも知れませんが)、いったん線路の反対側の町まで戻って飲み物を買いなおしてくるはめになりました。

 登山道はこのような道が延々と続きます。
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 展望はほとんどない暑くてきつい登りです。猛烈に汗だくになりました。シャツがびしょびしょになったほどです。約 30 分で料金所に到着、さらに 5 分ほどで竹田城跡に着きました。
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 竹田城跡からの展望。眼下に箱庭のような竹田の城下町。
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 列車が走ってくる音が城にまで聞こえ、見ると特急「はまかぜ」がやってきました。
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 続いて、竹田駅で特急を待ち合わせしていた気動車が発車していきました。模型のようでした。
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 竹田城は本丸の天守台を中心に 3 方の尾根に広がる想像以上に大きな城跡です。
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 パンフレットによると東西約 400m、南北約 100m の規模だそうです。
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 団体さんをはじめ多くの観光客が来ていました。
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 雲海が広がっていたら、本当に天の上にいるような気分になれたのでしょう。
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 帰りも同じ駅裏登山道を下りました。下山すると、ちょうど特急「はまかぜ」が入ってきました。
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 竹田城人気のため、「はまかぜ」も 1 日 2 往復、竹田駅に臨時停車しています。
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 そういえば「はまかぜ」のヘッドマークも竹田城でした。

 竹田城へは竹田の町の反対側にあたる山城の郷という観光施設にクルマを止め、周回している天空バスあるいはタクシーで中腹まで行き、そこから歩くのがいちばん楽なアプローチだと思います。私はろくに下調べをして行かなかったため、暑い中きつい山登りをすることになってしまいました。なお、天空バスは竹田駅や町中の駐車場からも乗車できるようです。

 雲海が発生して、まさしく「天空の城」になりやすいのはこれからの季節。9 月から 11 月、特に晩秋の明け方から午前 8 時頃がいちばん霧が発生しやすいとのことです。


★おまけ:最近のはるちゃん★

 リーン、リーン、秋の虫の鳴き声が聞こえるようになったね。
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出石 [町並み・集落 散策]

 こんばんは。
 兵庫県豊岡市の城下町、出石を散策しました。記事中『 』内の文は、駐車場でもらった「出石観光ガイドマップ 出石散策絵図」から引用させていただきました。

 『出石は「古事記」や「日本書紀」にも登場する古い町です。室町時代には、山名時氏が但馬を制圧、その子時義が此隅山城に本城を構えたことにより、出石は但馬の中心として繁栄しました。』
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 『戦国時代に此隅山城、続く有子山城と相次いで落城後、小出氏が領主となり、山麓に平山城を築城、周囲に城下町が形成されました。』
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 城跡には立派な石垣が残っています、また、隅櫓は昭和 43 年に復元されたとのことです。

 城門前の谷山川では、出石藩夏まつりと書かれた風鈴が涼しい音を奏でていました。
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 出石のシンボルといえば、この時計台「振鼓楼」でしょうか。
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 振鼓楼の下の案内板によると「振」は時間、「鼓楼」は太鼓をたたくやぐらを意味し、明治 4 年に建てられ、当初は太鼓で時を知らせていたが、地元の開業医が時計を寄贈してから時計台になり、札幌時計台とともに日本最古の時計台であるとのことです。

 出石の町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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 『出石史料館。明治時代に生糸を商った豪商の旧艇です。』
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 『出石酒造の酒蔵。赤い土壁が長い年月を経て、まるで人の表情のように豊かな味わいを見せてくれます。現在、楽々鶴を販売しています。』
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 土壁が少し欠けていながらも現役の酒蔵が、散策した中でいちばん印象的な建物でした。
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 白い色が特長の出石焼。その窯元がところどころに建っていました。
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 『砦がわりの寺院。城下町の街道口には、高櫓を設け、塀に狭間を穿った寺院があります。いざ戦となったとき、砦の役割をしていました。』 このお寺は経王寺さんです。
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 町並みもさることながら出石を有名にしているのは、出石皿そばではないでしょうか。町内に約 50 軒ものそば屋さんがあるそうです。とても暑い日にもかかわらず、たくさんの観光客が歩いていたのは、町並み散策というよりおそば屋さん目当てなのではと思います。
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 私も上写真、左の建物のお店「大門」さんにお邪魔しました。

 江戸時代に信州上田城主と国替えになったとき、信州から来たそば職人の技法が融合されて出石そばが誕生したとのことです。ざるそば一人前の量を出石焼の小皿 5 枚に盛り分けて提供するのが出石皿そばとのことです。生卵や山芋も薬味としてついてきました。
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 そばの小皿は追加注文することができます。私は 2 枚追加しました。出石焼のつゆ入れにつゆがたっぷり入っていましたので、つゆがなくなるのをまったく気にせず食べれました。ごちそうさまでした。卵や山芋のせいもあると思いますが、後から満腹感が襲ってきました。

 この後も散策し、稲荷神社の鳥居の道を登って城跡へ行きましたが、暑さでばててしまって稲荷神社までたどりつけませんでした。
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 最後に黒豆ソフトをいただきました。
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 黒豆=丹波黒豆でしょうか。きな粉をふりかけたような味、甘くておいしかったです。熱中症寸前のぐったりした体に元気が戻りました。


★おまけ:最近のはるちゃん★

 押さえつけている訳ではありませんので、念のため。
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