はるさんが亡くなってちょうど1年たちました [うさぎのはるさん日記]
こんばんは。
うさぎのはるさん日記、番外編です。
♪ はーるさんさん はるさんさん こんばんは はるさん!
今日ははるさんが天国に旅立ってちょうど1年になったんだ。早いものだね。
はるさんがいなかったら、はるちゃんを迎えることもなかったし、このブログを書くこともなかっただろうね。オレ個人的なことだけど、はるさんがいたから、はるさんに癒しと元気をもらって、何とか立ち直ってきたんだ。まだ完璧じゃないけどね。まあ一歩ずつってところかな。野菜を買うのも楽しくなったし、はるさんやはるちゃんがいるから家族の会話も以前より増えたし、変な替え歌で賑やか(近所には狂ったヤツがいると思われている可能性もあり)になったしね。
はるさんも1年間、はるちゃんの守護神としての仕事ごくろうさん。これからも引き続き見守ってくれよな。重荷にならないように時々でいいしな!
・・・私たちにとって感慨深いこの日、はるさんの思い出に浸るため、人形やお菓子をいろいろ買ってきました。私たちにとってはるさんと暮らした日々は忘れられない思い出ですが、すでに今までも何回も書いてきたことですので、買ってきたモノについての紹介も含めさせていただきます。
先日、弥彦桜井郷温泉さくらの湯へ入浴に行きました。温泉の記事は後日アップしたいと思いますが、ここでウサ関係のグッズとお菓子を買ってきました。
新潟県生まれの もち-うさぎ を購入です。
横、後ろから見た写真
もち-うさぎ。実ははるさんにも買ってあげたことがありました。爺様うさぎのはるさんには全く無関心だった ようですが、はるさん率いるうさぎ軍団に加えたいという飼い主のエゴで改めて購入です。
一応お約束ですので、はるちゃんにも会ってもらいました。
♪ はーるちゃん はる爺さんもふれあったことがあるお友達の「もち-うさぎ」さんだよ!
おっ、はるちゃんは仲良くしたいんだな。
・・・最近は、後ろからお友達を倒してみることが好きになったようです。
玉兎というお菓子です。落雁ですかね。
弥彦にはうさぎに関する伝説が残されています。
小さなうさぎさんです。はるちゃんとどっちが可愛いかな?
続いて、まぁーるいうさぎ というお菓子。
中にいちごあんが入っています。
はるちゃんにも似ているかな?
そして、弥彦の帰りに出雲崎に立ち寄り、月の兎というお菓子を買いました。
出雲崎は良寛和尚の生誕地、良寛さんが長歌、月の兎を詠んだことにちなんで名付けられたというお菓子で、歴史を感じさせる伝統の一品です。
どちらかというと先代はる爺さんに似ているような絵。
中は紫のあんが入っていました。はるちゃんも食べたいのか?
(注:いずれのお菓子もはるちゃんにはご遠慮いただいています)
月の兎・・・お月様に旅立ったはるさんを思い起こさせますが・・・
月の兎のお話は乞食に化けた神様を助けようと、猿、狐、兎がそれぞれの知恵で食べ物を神様に持ってこようとしますが、自らの能力で食べ物を集めてくる猿、狐に対して、ただオロオロするだけで何もできない兎が最後、自ら火に飛び込んで肉となって神様の食料となりました。自らを犠牲にしてまで神様を助けようとした兎を憐れんで、神様が焼け焦げた兎をかかえて月の御殿へ連れていったというお話です。
このお話の真に意味するところはさておき、はるさんを思うと、はるさんは何もできなかった存在でも自らを犠牲にしてまで私たちを救ってくれた存在でもない。どちらかというと私たちがはるさんに負担を強いていたのかも知れない。しかし大袈裟な表現ですが、はるさんがいただけで、愛情をかけあう正の連鎖が生まれ、私たちに夢と希望を与えてくれました。はるさんに限らず、うさぎはみんな同じ、オロオロするだけで何もできないことはない、可愛い容姿や仕草が私たちに癒しと喜びを与えてくれ、それがお互いの愛情へと発展し、結果的に私たちに良い影響も与えてくれる、そういう存在なのだと思います。
私たち家族にとってそんなうさぎの代表、はるさん。新しく購入した「もち-うさぎ」を迎え、祭壇がますます賑やかになりました。はるちゃんを見守る強固なはるさん軍団である一方、座敷わらしの出る部屋に供えられた人形と同じく、はるさんに感謝し、いつかどこかで再会したいと思う私たちの願いもこめられています。
買ってきた「もち-うさぎ」やお菓子を肴に、はるさんの思い出を語りつつ、はる爺さんには引き続き(というかずっと)はるちゃんの守護神としても仕事も行っていただくようお願いしました。
当のはる爺さん、お年頃のお嬢様、はるちゃんの傍でずっと警護ができるなんて夢みたいな話、きっと鼻の下をびろーんと伸ばして喜んで引き受けてくれるでしょう。
うさぎのはるさん日記、番外編です。
♪ はーるさんさん はるさんさん こんばんは はるさん!
今日ははるさんが天国に旅立ってちょうど1年になったんだ。早いものだね。
はるさんがいなかったら、はるちゃんを迎えることもなかったし、このブログを書くこともなかっただろうね。オレ個人的なことだけど、はるさんがいたから、はるさんに癒しと元気をもらって、何とか立ち直ってきたんだ。まだ完璧じゃないけどね。まあ一歩ずつってところかな。野菜を買うのも楽しくなったし、はるさんやはるちゃんがいるから家族の会話も以前より増えたし、変な替え歌で賑やか(近所には狂ったヤツがいると思われている可能性もあり)になったしね。
はるさんも1年間、はるちゃんの守護神としての仕事ごくろうさん。これからも引き続き見守ってくれよな。重荷にならないように時々でいいしな!
・・・私たちにとって感慨深いこの日、はるさんの思い出に浸るため、人形やお菓子をいろいろ買ってきました。私たちにとってはるさんと暮らした日々は忘れられない思い出ですが、すでに今までも何回も書いてきたことですので、買ってきたモノについての紹介も含めさせていただきます。
先日、弥彦桜井郷温泉さくらの湯へ入浴に行きました。温泉の記事は後日アップしたいと思いますが、ここでウサ関係のグッズとお菓子を買ってきました。
新潟県生まれの もち-うさぎ を購入です。
横、後ろから見た写真
もち-うさぎ。実ははるさんにも買ってあげたことがありました。爺様うさぎのはるさんには全く無関心だった ようですが、はるさん率いるうさぎ軍団に加えたいという飼い主のエゴで改めて購入です。
一応お約束ですので、はるちゃんにも会ってもらいました。
♪ はーるちゃん はる爺さんもふれあったことがあるお友達の「もち-うさぎ」さんだよ!
おっ、はるちゃんは仲良くしたいんだな。
・・・最近は、後ろからお友達を倒してみることが好きになったようです。
玉兎というお菓子です。落雁ですかね。
弥彦にはうさぎに関する伝説が残されています。
小さなうさぎさんです。はるちゃんとどっちが可愛いかな?
続いて、まぁーるいうさぎ というお菓子。
中にいちごあんが入っています。
はるちゃんにも似ているかな?
そして、弥彦の帰りに出雲崎に立ち寄り、月の兎というお菓子を買いました。
出雲崎は良寛和尚の生誕地、良寛さんが長歌、月の兎を詠んだことにちなんで名付けられたというお菓子で、歴史を感じさせる伝統の一品です。
どちらかというと先代はる爺さんに似ているような絵。
中は紫のあんが入っていました。はるちゃんも食べたいのか?
(注:いずれのお菓子もはるちゃんにはご遠慮いただいています)
月の兎・・・お月様に旅立ったはるさんを思い起こさせますが・・・
月の兎のお話は乞食に化けた神様を助けようと、猿、狐、兎がそれぞれの知恵で食べ物を神様に持ってこようとしますが、自らの能力で食べ物を集めてくる猿、狐に対して、ただオロオロするだけで何もできない兎が最後、自ら火に飛び込んで肉となって神様の食料となりました。自らを犠牲にしてまで神様を助けようとした兎を憐れんで、神様が焼け焦げた兎をかかえて月の御殿へ連れていったというお話です。
このお話の真に意味するところはさておき、はるさんを思うと、はるさんは何もできなかった存在でも自らを犠牲にしてまで私たちを救ってくれた存在でもない。どちらかというと私たちがはるさんに負担を強いていたのかも知れない。しかし大袈裟な表現ですが、はるさんがいただけで、愛情をかけあう正の連鎖が生まれ、私たちに夢と希望を与えてくれました。はるさんに限らず、うさぎはみんな同じ、オロオロするだけで何もできないことはない、可愛い容姿や仕草が私たちに癒しと喜びを与えてくれ、それがお互いの愛情へと発展し、結果的に私たちに良い影響も与えてくれる、そういう存在なのだと思います。
私たち家族にとってそんなうさぎの代表、はるさん。新しく購入した「もち-うさぎ」を迎え、祭壇がますます賑やかになりました。はるちゃんを見守る強固なはるさん軍団である一方、座敷わらしの出る部屋に供えられた人形と同じく、はるさんに感謝し、いつかどこかで再会したいと思う私たちの願いもこめられています。
買ってきた「もち-うさぎ」やお菓子を肴に、はるさんの思い出を語りつつ、はる爺さんには引き続き(というかずっと)はるちゃんの守護神としても仕事も行っていただくようお願いしました。
当のはる爺さん、お年頃のお嬢様、はるちゃんの傍でずっと警護ができるなんて夢みたいな話、きっと鼻の下をびろーんと伸ばして喜んで引き受けてくれるでしょう。
中秋の名月、「はる」さんを探してみよっと。 [うさぎのはるさん日記]
「はる」さんが今暮らしているお花畑はこんな風景ですか? [うさぎのはるさん日記]
こんにちは。
先代のうさぎ、「はる」さんのカテゴリ、「うさぎのはるさん日記」の番外編です。
昨日5月2日は伊豆の温泉へ日帰り入浴に出掛けてきました。その途中、先代「はる」さんが暮らしている天国のお花畑はこんなところかも、と思ってしまった風景に偶然出会いました。
田んぼの中の花畑、場所は静岡県西伊豆の松崎町です。
これを見たとき、天国で暮らすはるさんは、きっとこんな景色の中で駆けっこしているのでは、と思いました。
このお花畑は下の看板のように農閑期に田んぼをお花畑にしており、ひょっとしたら、お花畑のあと、枯れた花が田んぼの肥料として再利用されるのかも知れません。いいアイデアです。田んぼがたくさんある私たちが暮らす新潟県でも欲しいアイデアですね。
5月1日〜5日まで、花摘み解放となっていまして、自由に摘み取っていって良いようです。訪れていた方々も花を抱えていました。
「そうだ、このお花をはるさんにあげよう」
ということで、私たちも花を少し摘み取らせていただいて持ち帰ることにしました。
近くの道の駅で空きカンに水を入れ花を挿しこみ、我が家まで持ってきました。摘み取る時からすでに花は終わりに近づいていましたので、我が家まで持ってくる間に残念ながらしおれてしまった花もありますが、比較的元気な花をはるさんの祭壇に飾りました(ちょっとささやかになってしまいました)。
このお花畑を見て、はるさんをしのぶ替え歌を少し変更してみました。
♪ はるさん 今頃 どうしてますか
はるさん 元気に 暮らしてますね
はーるさんさん はるさんさん お花がきれいだね
はるさん お花畑で
逢おうな いつか!
はるさんは、こんな風にお花畑で駆けっこしているのかな?
(レタッチして背景をお花畑にしようと思いましたが、普段写真編集なんてしていないので、すぐに加工できませんでした。機会があれば写真加工してアップしたいと思います。)
先代のうさぎ、「はる」さんのカテゴリ、「うさぎのはるさん日記」の番外編です。
昨日5月2日は伊豆の温泉へ日帰り入浴に出掛けてきました。その途中、先代「はる」さんが暮らしている天国のお花畑はこんなところかも、と思ってしまった風景に偶然出会いました。
田んぼの中の花畑、場所は静岡県西伊豆の松崎町です。
これを見たとき、天国で暮らすはるさんは、きっとこんな景色の中で駆けっこしているのでは、と思いました。
このお花畑は下の看板のように農閑期に田んぼをお花畑にしており、ひょっとしたら、お花畑のあと、枯れた花が田んぼの肥料として再利用されるのかも知れません。いいアイデアです。田んぼがたくさんある私たちが暮らす新潟県でも欲しいアイデアですね。
5月1日〜5日まで、花摘み解放となっていまして、自由に摘み取っていって良いようです。訪れていた方々も花を抱えていました。
「そうだ、このお花をはるさんにあげよう」
ということで、私たちも花を少し摘み取らせていただいて持ち帰ることにしました。
近くの道の駅で空きカンに水を入れ花を挿しこみ、我が家まで持ってきました。摘み取る時からすでに花は終わりに近づいていましたので、我が家まで持ってくる間に残念ながらしおれてしまった花もありますが、比較的元気な花をはるさんの祭壇に飾りました(ちょっとささやかになってしまいました)。
このお花畑を見て、はるさんをしのぶ替え歌を少し変更してみました。
♪ はるさん 今頃 どうしてますか
はるさん 元気に 暮らしてますね
はーるさんさん はるさんさん お花がきれいだね
はるさん お花畑で
逢おうな いつか!
はるさんは、こんな風にお花畑で駆けっこしているのかな?
(レタッチして背景をお花畑にしようと思いましたが、普段写真編集なんてしていないので、すぐに加工できませんでした。機会があれば写真加工してアップしたいと思います。)
はるさんの思い出、最終回・・・はるさん、本当にありがとう! [うさぎのはるさん日記]
こんばんは。
当ブログの「はるさん日記」は今回で最終回とさせていただきます。
最終回ということで、何て書いたらよいのか、どのようにまとめようか、といろいろ考えましたが、はるさんには今となっては感謝あるのみです。それを記させて終わりにしたいと思います。
(写真は再掲載で新しいものはありません。ご了承ください。)
今までの繰り返しになるかと思いますが、はるさんが我が家に来た頃は、こんなにうさぎとの暮らしが充実したものになるとは思いませんでした。
はるさんに特別なカリスマ性があったのかどうかは何とも言えません。しかし、はるさんに愛情を注いでいくにつれ、はるさんも愛情を返して来ました。そして私たちもさらに愛情を注ぎ、はるさんもさらに愛情を返してくれる。この繰り返しが私たちにとって幸福であり、生きがいとなりました。相手を慈しむ心を今まで以上に育ませてもらいました。
この心はうさぎのはるさんでなくても、他の動物でも、人間でも育ませてもらうことはもちろん可能ですが、たまたまうさぎのはるさんという存在が身近に実在したことで、育ませてもらったことは間違いない事実です。
その他にも、今まで知らなかったうさぎや野菜の知識が習得でき、ブログを書こうと思い立ったきっかけを作ってもらい、そしてこのブログを書くにあたり、苦手だった文書を書くことの楽しさも教えてもらいました。それぞれは、以前より少しマシになった程度ですが、はるさんがいなかったら、とても実現できませんでした。
そして私たち家族が以前より明るくなったような気がします。両親もはるさんに愛情をかけることで、はるさんが生きがいの1つとなっていることを実感しています。
これらはすべてはるさんの功績だったのだと思います。そんなはるさんを忘れることはできませんし、生涯尊敬できる存在として私たちの心の中に居てくれるでしょう。
大げさに言ってしまいますが、はるさんが心の中に居てくれることを誇りにして、教えてもらったことをさらに発展させ充実したものにし、微力ながら別の形で世の中に対して、何がしかの貢献ができればと考えております。
そして最後に、この場を借りてこの一言を言わせていただきます。
はるさん! 本当にありがとう!
「うさぎのはるさん日記」は今回で完結させていただきます。今まではるさんの記事にご訪問してくださった皆様、本当にありがとうございました。
以前は、動画も載せると予告しておきながら、動画を編集している時間がなく、動画キャプチャーだけの掲載となってしまいました。
・・・実は、我が家で2代目となります、新しいうさぎさんをすでにお迎えしております。
高齢で威厳のあったはるさんから一転して、かわいくて若いうさぎさんにバトンタッチです。
折に触れてはるさんの再登場もあるかと思いますが、心機一転初心に帰り、新しいカテゴリで新しいうさぎさんとともにブログを継続して参りますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。
当ブログの「はるさん日記」は今回で最終回とさせていただきます。
最終回ということで、何て書いたらよいのか、どのようにまとめようか、といろいろ考えましたが、はるさんには今となっては感謝あるのみです。それを記させて終わりにしたいと思います。
(写真は再掲載で新しいものはありません。ご了承ください。)
今までの繰り返しになるかと思いますが、はるさんが我が家に来た頃は、こんなにうさぎとの暮らしが充実したものになるとは思いませんでした。
はるさんに特別なカリスマ性があったのかどうかは何とも言えません。しかし、はるさんに愛情を注いでいくにつれ、はるさんも愛情を返して来ました。そして私たちもさらに愛情を注ぎ、はるさんもさらに愛情を返してくれる。この繰り返しが私たちにとって幸福であり、生きがいとなりました。相手を慈しむ心を今まで以上に育ませてもらいました。
この心はうさぎのはるさんでなくても、他の動物でも、人間でも育ませてもらうことはもちろん可能ですが、たまたまうさぎのはるさんという存在が身近に実在したことで、育ませてもらったことは間違いない事実です。
その他にも、今まで知らなかったうさぎや野菜の知識が習得でき、ブログを書こうと思い立ったきっかけを作ってもらい、そしてこのブログを書くにあたり、苦手だった文書を書くことの楽しさも教えてもらいました。それぞれは、以前より少しマシになった程度ですが、はるさんがいなかったら、とても実現できませんでした。
そして私たち家族が以前より明るくなったような気がします。両親もはるさんに愛情をかけることで、はるさんが生きがいの1つとなっていることを実感しています。
これらはすべてはるさんの功績だったのだと思います。そんなはるさんを忘れることはできませんし、生涯尊敬できる存在として私たちの心の中に居てくれるでしょう。
大げさに言ってしまいますが、はるさんが心の中に居てくれることを誇りにして、教えてもらったことをさらに発展させ充実したものにし、微力ながら別の形で世の中に対して、何がしかの貢献ができればと考えております。
そして最後に、この場を借りてこの一言を言わせていただきます。
はるさん! 本当にありがとう!
「うさぎのはるさん日記」は今回で完結させていただきます。今まではるさんの記事にご訪問してくださった皆様、本当にありがとうございました。
以前は、動画も載せると予告しておきながら、動画を編集している時間がなく、動画キャプチャーだけの掲載となってしまいました。
・・・実は、我が家で2代目となります、新しいうさぎさんをすでにお迎えしております。
高齢で威厳のあったはるさんから一転して、かわいくて若いうさぎさんにバトンタッチです。
折に触れてはるさんの再登場もあるかと思いますが、心機一転初心に帰り、新しいカテゴリで新しいうさぎさんとともにブログを継続して参りますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。
はるさんの思い出、その6・・・家族の本当の一員として [うさぎのはるさん日記]
こんばんは。
今思うと気の毒だったのですが、我が家に来てからはるさんは、ずっと玄関で過ごしていました。高齢なので玄関でケージから出していても、そんなに高いところまで上がれないだろうと思っていましたが、昨年10月から、突然家の中に上がって来ました。
それで味を占めたのか、それから毎回居間の中まで入ってきて駆け回りました。
きっと、もっと私たちのそばに居たい、もっと一緒の時を過ごしたいと思ったのでしょう。それからはるさん、へやんぽの時は玄関と居間に専用スペースを獲得し、元気に走り回りました。歯が弱いため、物を噛んだりすることはまったくなく、たまにおしっこをお漏らししてしまいましたが、もう歳だからと次第に許すようになりました。
また、居間で一緒に過ごすにつれ、スキンシップも多くなりました。はるさんを「なでなで」しながら、はるさんのかわいい目やまつ毛を見て、それにはるさんの温もりも感じながら、そう遠くないうちにお別れのときがきてしまうのだろうな、図らずもペットとして生まれ、売りに出され、そしてはるさんはこの家に来て本当に良かったのか、子孫は残せなかったし、本来のうさぎとして野生の本能を発揮する暮らしはできなかったわけだから、それで満足だったのか、など考え始めると、はるさんが少し不憫にも思えてきました。
しかし、元飼い主の妹がはるさんを見初めてお迎えし、8年間立派に育てたあと、我が家にやって来る変遷はありましたが、いずれにしても生涯通じて我々家族とともに暮らしてきたのだから、これからでも残された時間、はるさんを本当に幸せにしてあげたいと思いました。
何が幸せなのか、食べたいものをたくさん与えるというのもありました。これについては少し甘やかしてしまったと思います。ひょっとしたら寿命を縮めてしまったかも知れません。
しかし、本当にはるさんも幸せに感じていたと思うのは「なでなで」も含めたスキンシップに時間を割き、また頻繁に声をかけるなど、常にはるさんを気にかけていたことだと思います。
歌を歌いながらはるさんを「なでなで」し、はるさんを抱きかかえながら「今日も元気だったか?」「体の具合の悪いところはないか?」「はるさん、幸せか?」などと声をかけました。いつもはるさんは目を閉じてうっとりしていました。
また、へやんぽ以外の時でも、朝起きたときの「おはようさん!」、寝るときの「おやすみさん!」、出かけるときの「行ってくるね!」、帰ってきたときの「ただいまさん!」、食事しているときも無視されながらも「おいしいか!」と常に声をかけていました。
いつもはるさんのことを気にかけ、また、はるさんもそれを期待してくれました。
へやんぽのときも常に定位置で待っていてくれ、なでなでする私たちを舐めて、そしてのどが渇くとケージに戻って水を飲み、そしてダッシュして私たちのところへ再び戻って来ました。
今振り返ると十分ではなかったこともたくさんあります。しかし何をやっても後で振り返ると悔やみは残ると思います。しかし、そのときは精一杯はるさんを大事にしたつもりですし、はるさんの行動を見ると、はるさんも幸せに感じていたと断言できると思います。
家族と同様、というか家族の本当の一員として絶対別れたくないと思いました。
しかし、どうしてもお別れの時は遅かれ早かれやってきますし、現実やってきてしまいました。
以前の記事でも書きましたが、はるさんは旅立つときのタイミングを図っていたように思えてなりません。私たちに看取られ、「なでなで」されながら安らかに旅立ちました。最後に感謝の言葉を伝えることができました。家族全員で立派な葬式も行いました。
このような言い方が適切かどうか分かりませんが、きれいな旅立ちでした。
今まで私たちが、はるさんに愛情をもって接したことへの恩返しにも思えました。
私が書いたことは私の妄想かも知れません。
しかし、はるさんにはいろいろなことを教えてもらいました。これは妄想ではなく事実です。
教えてもらったことを今までも書いてきましたが、次回はそれを再度取り上げてはるさんに感謝をしつつ、「はるさん日記」を一旦完結とさせていただきたいと思います。
今思うと気の毒だったのですが、我が家に来てからはるさんは、ずっと玄関で過ごしていました。高齢なので玄関でケージから出していても、そんなに高いところまで上がれないだろうと思っていましたが、昨年10月から、突然家の中に上がって来ました。
それで味を占めたのか、それから毎回居間の中まで入ってきて駆け回りました。
きっと、もっと私たちのそばに居たい、もっと一緒の時を過ごしたいと思ったのでしょう。それからはるさん、へやんぽの時は玄関と居間に専用スペースを獲得し、元気に走り回りました。歯が弱いため、物を噛んだりすることはまったくなく、たまにおしっこをお漏らししてしまいましたが、もう歳だからと次第に許すようになりました。
また、居間で一緒に過ごすにつれ、スキンシップも多くなりました。はるさんを「なでなで」しながら、はるさんのかわいい目やまつ毛を見て、それにはるさんの温もりも感じながら、そう遠くないうちにお別れのときがきてしまうのだろうな、図らずもペットとして生まれ、売りに出され、そしてはるさんはこの家に来て本当に良かったのか、子孫は残せなかったし、本来のうさぎとして野生の本能を発揮する暮らしはできなかったわけだから、それで満足だったのか、など考え始めると、はるさんが少し不憫にも思えてきました。
しかし、元飼い主の妹がはるさんを見初めてお迎えし、8年間立派に育てたあと、我が家にやって来る変遷はありましたが、いずれにしても生涯通じて我々家族とともに暮らしてきたのだから、これからでも残された時間、はるさんを本当に幸せにしてあげたいと思いました。
何が幸せなのか、食べたいものをたくさん与えるというのもありました。これについては少し甘やかしてしまったと思います。ひょっとしたら寿命を縮めてしまったかも知れません。
しかし、本当にはるさんも幸せに感じていたと思うのは「なでなで」も含めたスキンシップに時間を割き、また頻繁に声をかけるなど、常にはるさんを気にかけていたことだと思います。
歌を歌いながらはるさんを「なでなで」し、はるさんを抱きかかえながら「今日も元気だったか?」「体の具合の悪いところはないか?」「はるさん、幸せか?」などと声をかけました。いつもはるさんは目を閉じてうっとりしていました。
また、へやんぽ以外の時でも、朝起きたときの「おはようさん!」、寝るときの「おやすみさん!」、出かけるときの「行ってくるね!」、帰ってきたときの「ただいまさん!」、食事しているときも無視されながらも「おいしいか!」と常に声をかけていました。
いつもはるさんのことを気にかけ、また、はるさんもそれを期待してくれました。
へやんぽのときも常に定位置で待っていてくれ、なでなでする私たちを舐めて、そしてのどが渇くとケージに戻って水を飲み、そしてダッシュして私たちのところへ再び戻って来ました。
今振り返ると十分ではなかったこともたくさんあります。しかし何をやっても後で振り返ると悔やみは残ると思います。しかし、そのときは精一杯はるさんを大事にしたつもりですし、はるさんの行動を見ると、はるさんも幸せに感じていたと断言できると思います。
家族と同様、というか家族の本当の一員として絶対別れたくないと思いました。
しかし、どうしてもお別れの時は遅かれ早かれやってきますし、現実やってきてしまいました。
以前の記事でも書きましたが、はるさんは旅立つときのタイミングを図っていたように思えてなりません。私たちに看取られ、「なでなで」されながら安らかに旅立ちました。最後に感謝の言葉を伝えることができました。家族全員で立派な葬式も行いました。
このような言い方が適切かどうか分かりませんが、きれいな旅立ちでした。
今まで私たちが、はるさんに愛情をもって接したことへの恩返しにも思えました。
私が書いたことは私の妄想かも知れません。
しかし、はるさんにはいろいろなことを教えてもらいました。これは妄想ではなく事実です。
教えてもらったことを今までも書いてきましたが、次回はそれを再度取り上げてはるさんに感謝をしつつ、「はるさん日記」を一旦完結とさせていただきたいと思います。