はるさんの思い出、その6・・・家族の本当の一員として [うさぎのはるさん日記]
こんばんは。
今思うと気の毒だったのですが、我が家に来てからはるさんは、ずっと玄関で過ごしていました。高齢なので玄関でケージから出していても、そんなに高いところまで上がれないだろうと思っていましたが、昨年10月から、突然家の中に上がって来ました。
それで味を占めたのか、それから毎回居間の中まで入ってきて駆け回りました。
きっと、もっと私たちのそばに居たい、もっと一緒の時を過ごしたいと思ったのでしょう。それからはるさん、へやんぽの時は玄関と居間に専用スペースを獲得し、元気に走り回りました。歯が弱いため、物を噛んだりすることはまったくなく、たまにおしっこをお漏らししてしまいましたが、もう歳だからと次第に許すようになりました。
また、居間で一緒に過ごすにつれ、スキンシップも多くなりました。はるさんを「なでなで」しながら、はるさんのかわいい目やまつ毛を見て、それにはるさんの温もりも感じながら、そう遠くないうちにお別れのときがきてしまうのだろうな、図らずもペットとして生まれ、売りに出され、そしてはるさんはこの家に来て本当に良かったのか、子孫は残せなかったし、本来のうさぎとして野生の本能を発揮する暮らしはできなかったわけだから、それで満足だったのか、など考え始めると、はるさんが少し不憫にも思えてきました。
しかし、元飼い主の妹がはるさんを見初めてお迎えし、8年間立派に育てたあと、我が家にやって来る変遷はありましたが、いずれにしても生涯通じて我々家族とともに暮らしてきたのだから、これからでも残された時間、はるさんを本当に幸せにしてあげたいと思いました。
何が幸せなのか、食べたいものをたくさん与えるというのもありました。これについては少し甘やかしてしまったと思います。ひょっとしたら寿命を縮めてしまったかも知れません。
しかし、本当にはるさんも幸せに感じていたと思うのは「なでなで」も含めたスキンシップに時間を割き、また頻繁に声をかけるなど、常にはるさんを気にかけていたことだと思います。
歌を歌いながらはるさんを「なでなで」し、はるさんを抱きかかえながら「今日も元気だったか?」「体の具合の悪いところはないか?」「はるさん、幸せか?」などと声をかけました。いつもはるさんは目を閉じてうっとりしていました。
また、へやんぽ以外の時でも、朝起きたときの「おはようさん!」、寝るときの「おやすみさん!」、出かけるときの「行ってくるね!」、帰ってきたときの「ただいまさん!」、食事しているときも無視されながらも「おいしいか!」と常に声をかけていました。
いつもはるさんのことを気にかけ、また、はるさんもそれを期待してくれました。
へやんぽのときも常に定位置で待っていてくれ、なでなでする私たちを舐めて、そしてのどが渇くとケージに戻って水を飲み、そしてダッシュして私たちのところへ再び戻って来ました。
今振り返ると十分ではなかったこともたくさんあります。しかし何をやっても後で振り返ると悔やみは残ると思います。しかし、そのときは精一杯はるさんを大事にしたつもりですし、はるさんの行動を見ると、はるさんも幸せに感じていたと断言できると思います。
家族と同様、というか家族の本当の一員として絶対別れたくないと思いました。
しかし、どうしてもお別れの時は遅かれ早かれやってきますし、現実やってきてしまいました。
以前の記事でも書きましたが、はるさんは旅立つときのタイミングを図っていたように思えてなりません。私たちに看取られ、「なでなで」されながら安らかに旅立ちました。最後に感謝の言葉を伝えることができました。家族全員で立派な葬式も行いました。
このような言い方が適切かどうか分かりませんが、きれいな旅立ちでした。
今まで私たちが、はるさんに愛情をもって接したことへの恩返しにも思えました。
私が書いたことは私の妄想かも知れません。
しかし、はるさんにはいろいろなことを教えてもらいました。これは妄想ではなく事実です。
教えてもらったことを今までも書いてきましたが、次回はそれを再度取り上げてはるさんに感謝をしつつ、「はるさん日記」を一旦完結とさせていただきたいと思います。
今思うと気の毒だったのですが、我が家に来てからはるさんは、ずっと玄関で過ごしていました。高齢なので玄関でケージから出していても、そんなに高いところまで上がれないだろうと思っていましたが、昨年10月から、突然家の中に上がって来ました。
それで味を占めたのか、それから毎回居間の中まで入ってきて駆け回りました。
きっと、もっと私たちのそばに居たい、もっと一緒の時を過ごしたいと思ったのでしょう。それからはるさん、へやんぽの時は玄関と居間に専用スペースを獲得し、元気に走り回りました。歯が弱いため、物を噛んだりすることはまったくなく、たまにおしっこをお漏らししてしまいましたが、もう歳だからと次第に許すようになりました。
また、居間で一緒に過ごすにつれ、スキンシップも多くなりました。はるさんを「なでなで」しながら、はるさんのかわいい目やまつ毛を見て、それにはるさんの温もりも感じながら、そう遠くないうちにお別れのときがきてしまうのだろうな、図らずもペットとして生まれ、売りに出され、そしてはるさんはこの家に来て本当に良かったのか、子孫は残せなかったし、本来のうさぎとして野生の本能を発揮する暮らしはできなかったわけだから、それで満足だったのか、など考え始めると、はるさんが少し不憫にも思えてきました。
しかし、元飼い主の妹がはるさんを見初めてお迎えし、8年間立派に育てたあと、我が家にやって来る変遷はありましたが、いずれにしても生涯通じて我々家族とともに暮らしてきたのだから、これからでも残された時間、はるさんを本当に幸せにしてあげたいと思いました。
何が幸せなのか、食べたいものをたくさん与えるというのもありました。これについては少し甘やかしてしまったと思います。ひょっとしたら寿命を縮めてしまったかも知れません。
しかし、本当にはるさんも幸せに感じていたと思うのは「なでなで」も含めたスキンシップに時間を割き、また頻繁に声をかけるなど、常にはるさんを気にかけていたことだと思います。
歌を歌いながらはるさんを「なでなで」し、はるさんを抱きかかえながら「今日も元気だったか?」「体の具合の悪いところはないか?」「はるさん、幸せか?」などと声をかけました。いつもはるさんは目を閉じてうっとりしていました。
また、へやんぽ以外の時でも、朝起きたときの「おはようさん!」、寝るときの「おやすみさん!」、出かけるときの「行ってくるね!」、帰ってきたときの「ただいまさん!」、食事しているときも無視されながらも「おいしいか!」と常に声をかけていました。
いつもはるさんのことを気にかけ、また、はるさんもそれを期待してくれました。
へやんぽのときも常に定位置で待っていてくれ、なでなでする私たちを舐めて、そしてのどが渇くとケージに戻って水を飲み、そしてダッシュして私たちのところへ再び戻って来ました。
今振り返ると十分ではなかったこともたくさんあります。しかし何をやっても後で振り返ると悔やみは残ると思います。しかし、そのときは精一杯はるさんを大事にしたつもりですし、はるさんの行動を見ると、はるさんも幸せに感じていたと断言できると思います。
家族と同様、というか家族の本当の一員として絶対別れたくないと思いました。
しかし、どうしてもお別れの時は遅かれ早かれやってきますし、現実やってきてしまいました。
以前の記事でも書きましたが、はるさんは旅立つときのタイミングを図っていたように思えてなりません。私たちに看取られ、「なでなで」されながら安らかに旅立ちました。最後に感謝の言葉を伝えることができました。家族全員で立派な葬式も行いました。
このような言い方が適切かどうか分かりませんが、きれいな旅立ちでした。
今まで私たちが、はるさんに愛情をもって接したことへの恩返しにも思えました。
私が書いたことは私の妄想かも知れません。
しかし、はるさんにはいろいろなことを教えてもらいました。これは妄想ではなく事実です。
教えてもらったことを今までも書いてきましたが、次回はそれを再度取り上げてはるさんに感謝をしつつ、「はるさん日記」を一旦完結とさせていただきたいと思います。
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