伊根 [町並み・集落 散策]
こんばんは。
舟屋が立ち並ぶ町で知られる、京都府丹後半島の伊根町に立ち寄りました。
記事中『 』内の文は、現地で入手した無料の冊子「京都 伊根なび」から引用させていただきました。
『1 階が船のガレージで 2 階が居室になっている「伊根の舟屋」は、伊根湾沿いに水際ぎりぎりに約 230 軒が群として立ち並んでいます。その独特の景観とそこに息づく人々の暮らしから、国の「重用伝統的建造物群保存地区」に選定され、「日本で最も美しい村連合」にも加盟しています。』
『舟屋は江戸時代の中期(1800 年代)前後から存在しているとされ、当時は茅葺の屋根で、網を干す必要性から床板はありませんでした。ほとんどが明治から昭和初期にかけて現在のように木造 2 階建てになりました。』
『生活の基盤は道を隔てて山側にある母屋にあり(海側に母屋がある場合もあります)、漁業中心の生活は現在まで引き継がれています。』
狭い道をはさんで海側が舟屋、山側は母屋とのことです。
向井酒造さん。『日本でいちばん海に近い酒蔵といわれる伊根町唯一の造り酒屋さんです。』
海側から見ると、なるほど、本当に海に近い酒蔵(右手)です。
伊根浦公園に設置してあった案内板には・・・
「若狭湾に面した伊根浦は日本海側には珍しく南に開けた静かな入り江である。伊根湾の 3 方を囲んでいる急傾斜の固い岩山は、そのまま海に落ちて深い淵をつくっており、波を起こしにくい地形を形成している。また、伊根湾においては潮の干満差は極めて小さく(年間 50cm 程度)、静穏度の高い天然の良港といえる。」
「およそ 350 世帯で構成される伊根浦の集落は、延長 5km におよぶ伊根湾の海岸沿いに連続して細長く形成されている。」と書かれていました。
私はまず、伊根湾めぐり遊覧船に乗船して、海から船屋が立ち並ぶ風景を見ました。
湾内には至る所に養殖生簀が設置されていました。
伊根湾めぐり遊覧船は 30 分程度で伊根湾をぐるっと一周して来ます。ずらっと並ぶ舟屋の様子がよく分かる手軽な遊覧でした。
続いて、自転車を借りて町内を散策しました。道の駅舟屋の里公園の観光案内所でレンタサイクルについて尋ねたら、観光案内所の自転車は有料で、その他、無料の自転車が伊根浦町内に 3 ヶ所(伊根湾遊覧船乗り場、旧役場跡の伊根浦公園前、郵便局横)設置してあるとのことで、小さながらもクルマを停められる駐車場もあった伊根浦公園前の無料自転車を利用させていただきました。自転車のカゴに貼られているルールを守れば、誰でも使ってよいようです。
舟屋の 2 階部分は若い人の部屋、または民宿の客室になっているそうです。いつか舟屋の民宿に泊まって、夕焼け、月明かり、朝焼けに照らされる静かな伊根湾を部屋の窓からぼーっと眺めてみたいと思いました。
★おまけ:最近のはるちゃん★
舟屋が立ち並ぶ町で知られる、京都府丹後半島の伊根町に立ち寄りました。
記事中『 』内の文は、現地で入手した無料の冊子「京都 伊根なび」から引用させていただきました。
『1 階が船のガレージで 2 階が居室になっている「伊根の舟屋」は、伊根湾沿いに水際ぎりぎりに約 230 軒が群として立ち並んでいます。その独特の景観とそこに息づく人々の暮らしから、国の「重用伝統的建造物群保存地区」に選定され、「日本で最も美しい村連合」にも加盟しています。』
『舟屋は江戸時代の中期(1800 年代)前後から存在しているとされ、当時は茅葺の屋根で、網を干す必要性から床板はありませんでした。ほとんどが明治から昭和初期にかけて現在のように木造 2 階建てになりました。』
『生活の基盤は道を隔てて山側にある母屋にあり(海側に母屋がある場合もあります)、漁業中心の生活は現在まで引き継がれています。』
狭い道をはさんで海側が舟屋、山側は母屋とのことです。
向井酒造さん。『日本でいちばん海に近い酒蔵といわれる伊根町唯一の造り酒屋さんです。』
海側から見ると、なるほど、本当に海に近い酒蔵(右手)です。
伊根浦公園に設置してあった案内板には・・・
「若狭湾に面した伊根浦は日本海側には珍しく南に開けた静かな入り江である。伊根湾の 3 方を囲んでいる急傾斜の固い岩山は、そのまま海に落ちて深い淵をつくっており、波を起こしにくい地形を形成している。また、伊根湾においては潮の干満差は極めて小さく(年間 50cm 程度)、静穏度の高い天然の良港といえる。」
「およそ 350 世帯で構成される伊根浦の集落は、延長 5km におよぶ伊根湾の海岸沿いに連続して細長く形成されている。」と書かれていました。
私はまず、伊根湾めぐり遊覧船に乗船して、海から船屋が立ち並ぶ風景を見ました。
湾内には至る所に養殖生簀が設置されていました。
伊根湾めぐり遊覧船は 30 分程度で伊根湾をぐるっと一周して来ます。ずらっと並ぶ舟屋の様子がよく分かる手軽な遊覧でした。
続いて、自転車を借りて町内を散策しました。道の駅舟屋の里公園の観光案内所でレンタサイクルについて尋ねたら、観光案内所の自転車は有料で、その他、無料の自転車が伊根浦町内に 3 ヶ所(伊根湾遊覧船乗り場、旧役場跡の伊根浦公園前、郵便局横)設置してあるとのことで、小さながらもクルマを停められる駐車場もあった伊根浦公園前の無料自転車を利用させていただきました。自転車のカゴに貼られているルールを守れば、誰でも使ってよいようです。
舟屋の 2 階部分は若い人の部屋、または民宿の客室になっているそうです。いつか舟屋の民宿に泊まって、夕焼け、月明かり、朝焼けに照らされる静かな伊根湾を部屋の窓からぼーっと眺めてみたいと思いました。
★おまけ:最近のはるちゃん★
熊野古道小辺路 果無集落 [町並み・集落 散策]
こんばんは。
熊野古道小辺路 は熊野参詣道の一つで、高野山と熊野本宮大社をいくつもの峠を越えながら最短距離で結ぶ険しい山岳路です。
熊野本宮大社へ向かって最後の峠、果無峠の途中に天空の郷と呼ばれている小さな果無集落があります。下写真のように山上の小さな集落と連なる山々をバックにした「世界遺産 熊野参詣道小辺路」の石碑が建つ風景が、熊野古道小辺路を代表する景観としてメディアなどによく登場しています。この場所が奈良県十津川村の果無集落です。
果無集落には谷底の十津川温泉から車道が通じていてクルマで行くことができますが、小辺路を少しでも歩いてみたく、徒歩で果無集落まで行ってみることにしました。
なお、こちらのサイト に果無峠越えのルートマップが載せられています。
徒歩の出発点としたのは、十津川温泉昴の郷、広い駐車場がありますのでここにクルマを置いてスタートです。
まず短いトンネルを抜け・・・
十津川の支流、西川に架かる吊り橋を渡ります。
清流の流れとともに、フィーフィーという声が聞こえました。これはひょっとしてかじか蛙? 訪れたのは 3 月末だったのですが、暖かい陽気に誘われてかじか蛙も鳴き始めていたのかも。
民家の軒下、物置のようなところを通る箇所もあります。
果無集落への車道を横切る地点に果無峠登山口の標柱がありました。ここから本格的な登りになります。傍らに清水が引かれていましたので、軽く喉を潤していきました。
登山口から杉林に囲まれた石畳(ところどころ朽ちている)の急な道をひたすら登ります。
約 30 分でベンチがある見晴らしの良い場所に出ました。二津野ダムによってせきとめられた十津川のダム湖が見下ろせました。
ここからは緩やかな登りになり約 5 分で野生動物除けのゲートを通ります。
果無集落の民家が見えてきました。
土手はきれいに石積みされています。
古道もきれいな石畳になりました。
やがて民家の庭先を横切ります。民家の庭先を熊野古道が横切っている場所としてよく紹介されるお宅だと思います。
冷たい清水がひかれていました。昔はここで水をいただき、一息ついたのでしょう。
まだ田植えの季節ではありませんが、花々が植えられていました。
車道を横切る地点で、小辺路を代表する風景である、世界遺産の石碑に出会いました。
クルマで訪れたと思われる方も何組か散策していました。
この場所でも山上集落の雰囲気は十分味わえたのですが、さらに景色が良いところを求めて、もう少し登ってみることにします。
またも民家の庭先を通り抜けます。
再び車道を横切ったところに石仏が置かれていました。果無峠越えの古道沿いには熊野本宮側から道しるべのように 33 体の観音様が置かれているとのことです。この石仏は 29 番目の観音様でした。
観音様が置かれている地点から先、果無峠越えの古道は登山届が必要です。
なお、古道の案内板はよく整備されていて、異なる道には分かりやすく「この道は熊野古道ではありません」と書かれた看板が設置させています。
私はその古道ではない車道をさらに奥へと進んでみました。400m ほど進むと民家が現れました。
山々が見渡せる民家、花も咲いてぽかぽかと暖かく、桃源郷のような雰囲気でした。
民家の裏山に道がついていたので登ってみると大きく展望が開け、谷底の十津川温泉と紀伊半島の深い山々が見渡せました。
写真左手の山々の先に高野山があるはずです。
はるか昔、高野山からいくつもの山や谷を越え、熊野本宮大社を目指した人々は、今までたどってきた山々が見渡せる果無集落でふっと一息つき、あと一つ峠を越えればようやく熊野本宮大社にたどりつけるとの期待を胸に、果無峠に挑む旅路の最後の足取りも力強くなったのかも知れません。
熊野古道小辺路 は熊野参詣道の一つで、高野山と熊野本宮大社をいくつもの峠を越えながら最短距離で結ぶ険しい山岳路です。
熊野本宮大社へ向かって最後の峠、果無峠の途中に天空の郷と呼ばれている小さな果無集落があります。下写真のように山上の小さな集落と連なる山々をバックにした「世界遺産 熊野参詣道小辺路」の石碑が建つ風景が、熊野古道小辺路を代表する景観としてメディアなどによく登場しています。この場所が奈良県十津川村の果無集落です。
果無集落には谷底の十津川温泉から車道が通じていてクルマで行くことができますが、小辺路を少しでも歩いてみたく、徒歩で果無集落まで行ってみることにしました。
なお、こちらのサイト に果無峠越えのルートマップが載せられています。
徒歩の出発点としたのは、十津川温泉昴の郷、広い駐車場がありますのでここにクルマを置いてスタートです。
まず短いトンネルを抜け・・・
十津川の支流、西川に架かる吊り橋を渡ります。
清流の流れとともに、フィーフィーという声が聞こえました。これはひょっとしてかじか蛙? 訪れたのは 3 月末だったのですが、暖かい陽気に誘われてかじか蛙も鳴き始めていたのかも。
民家の軒下、物置のようなところを通る箇所もあります。
果無集落への車道を横切る地点に果無峠登山口の標柱がありました。ここから本格的な登りになります。傍らに清水が引かれていましたので、軽く喉を潤していきました。
登山口から杉林に囲まれた石畳(ところどころ朽ちている)の急な道をひたすら登ります。
約 30 分でベンチがある見晴らしの良い場所に出ました。二津野ダムによってせきとめられた十津川のダム湖が見下ろせました。
ここからは緩やかな登りになり約 5 分で野生動物除けのゲートを通ります。
果無集落の民家が見えてきました。
土手はきれいに石積みされています。
古道もきれいな石畳になりました。
やがて民家の庭先を横切ります。民家の庭先を熊野古道が横切っている場所としてよく紹介されるお宅だと思います。
冷たい清水がひかれていました。昔はここで水をいただき、一息ついたのでしょう。
まだ田植えの季節ではありませんが、花々が植えられていました。
車道を横切る地点で、小辺路を代表する風景である、世界遺産の石碑に出会いました。
クルマで訪れたと思われる方も何組か散策していました。
この場所でも山上集落の雰囲気は十分味わえたのですが、さらに景色が良いところを求めて、もう少し登ってみることにします。
またも民家の庭先を通り抜けます。
再び車道を横切ったところに石仏が置かれていました。果無峠越えの古道沿いには熊野本宮側から道しるべのように 33 体の観音様が置かれているとのことです。この石仏は 29 番目の観音様でした。
観音様が置かれている地点から先、果無峠越えの古道は登山届が必要です。
なお、古道の案内板はよく整備されていて、異なる道には分かりやすく「この道は熊野古道ではありません」と書かれた看板が設置させています。
私はその古道ではない車道をさらに奥へと進んでみました。400m ほど進むと民家が現れました。
山々が見渡せる民家、花も咲いてぽかぽかと暖かく、桃源郷のような雰囲気でした。
民家の裏山に道がついていたので登ってみると大きく展望が開け、谷底の十津川温泉と紀伊半島の深い山々が見渡せました。
写真左手の山々の先に高野山があるはずです。
はるか昔、高野山からいくつもの山や谷を越え、熊野本宮大社を目指した人々は、今までたどってきた山々が見渡せる果無集落でふっと一息つき、あと一つ峠を越えればようやく熊野本宮大社にたどりつけるとの期待を胸に、果無峠に挑む旅路の最後の足取りも力強くなったのかも知れません。
湯浅 伝統的建造物群保存地区 [町並み・集落 散策]
こんばんは。
古い町並みが残る、和歌山県湯浅町の湯浅伝統的建造物群保存地区を散策しました。
散策にあたって、こちらのサイト からダウンロードできるパンフレットを参考にしました。以下『 』内の説明は、パンフレットから抜粋、引用させていただきました。
『湯浅は古代より熊野参詣において上皇や貴族が滞在する宿所であり、武士や庶民に熊野参詣が広がるにつれ町が発展しました。紀州藩の時代には藩内有数の商工業都市として発展し漁業や漁網製造も盛んでしたが、もっとも特徴的なものは鎌倉時代に伝来した金山寺味噌の製造過程から生まれたといわれる醤油醸造です。紀州藩の手厚い保護を受けて販売網が拡張され、文化年間(1804〜1818)には 92 軒もの醤油屋が営業していたといわれています。
明治維新以後は藩の保護がなくなり、醤油醸造家は大幅に減少しましたが、醤油醸造などを中心に発展した湯浅の町並みはその重厚な歴史的風致が今日によく伝えていることから平成 18年 12月 19日に全国初の醤油醸造町として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。』
保存地区の東端に来訪者駐車場がありますので、ここにクルマを置いて散策開始です。
白壁と木板の建物が美しいです。
駐車場から西に向かって延びる北町通りと呼ばれるメインの通り。
『手作り行灯・麹資料館: かつては醸造に用いる麹の製造販売所。母屋は明治 11 年の建築。』
なお、軒下に下げられている板は幕板といって、屋内に風雨が吹き込むのを防ぐために設けられているそうです。
『竹林家: 長大な間口に 6 つの虫籠窓(むしこまど)がずらりと並ぶ主屋は、古くは醤油と漁網の販売を営んでいました。』
『虫籠窓: 近世から近代初頭頃の建物の 2 階に見られる窓で格子を漆喰で塗り固められています。四角形や木瓜型に分かれますが、周囲に額縁を施した重厚なものなど様々なデザインがあります。』
こちらも虫籠窓の建物。デコポンが無人販売されていました。
戸津井醤油醸造場
『太田久助吟製: 建築年代は江戸後期。元は醤油醸造家でしたが、現在は金山寺味噌の製造を行っています。』
老舗の醤油屋、角長さん。
こちらは工場でしょうか。とても趣きのある建物です。
角長さんの裏手には大仙堀があります。
『大仙堀: 醤油の原材料や商品が積み下ろしされた内港。石積の堀に立ち並ぶ醤油蔵など独特な光景を形成しています。』
私自身、とあるガイドブックで見たこの光景に魅せられ、湯浅を訪れた次第です。
上写真右側は道路になっていますが、大正時代には貨物の専用線がこの位置に敷かれていたそうです。
メインの通りと直角に細い路地が走っていました。
その路地を進んだところにあった甚風呂というお風呂屋さん。内部は資料館になっています。ひし形の窓が素敵です。
『せいろミュージアム: 町並み全体を民族資料館に見立て、湯浅にゆかりのある詩歌や古民具をせいろや繭作りに使うもろ蓋を使って展示しています。』
その他、町並みの光景。
ところどころに木製のベンチがありました。建物を見ながらちょっと休みにはよいですね。
保存地区の大きさは東西 400m、南北 280m とそれほど大きくありませんので 1 〜 2 時間ほどで散策できます。
来訪者駐車場が 6 台分のみであることが示すように、観光客でごった返すような町ではないと思います。出会った方も「なんてことない普通の町なんだけどね」というようなことを話されていましたが、私にとって地元の日本海側では見かけない趣きのある建物や路地、十分魅力的でした。
おまけです。
湯浅を訪れる前、有田川沿いを高野山へと通じる国道 480 号線を 50 分ほど遡ったところにある棚田、あらぎ島(リンク先は TIC わかやま旅案内所とさせていただきました)を見てきました。
日本棚田百選の一つでもあるあらぎ島、U字に蛇行する川の内側に作られた扇状の美しい棚田です。
展望台の背後の丘の上に神社が見えたので登ってみました。
蔵王神社という神社からはあらぎ島の一部も含め、周囲の里山風景が一望できました。
朝だったこともあり、そこかしこからコケコッコーと鶏の鳴き声も聞こえ、なんとものどかな雰囲気に浸ることができました。
古い町並みが残る、和歌山県湯浅町の湯浅伝統的建造物群保存地区を散策しました。
散策にあたって、こちらのサイト からダウンロードできるパンフレットを参考にしました。以下『 』内の説明は、パンフレットから抜粋、引用させていただきました。
『湯浅は古代より熊野参詣において上皇や貴族が滞在する宿所であり、武士や庶民に熊野参詣が広がるにつれ町が発展しました。紀州藩の時代には藩内有数の商工業都市として発展し漁業や漁網製造も盛んでしたが、もっとも特徴的なものは鎌倉時代に伝来した金山寺味噌の製造過程から生まれたといわれる醤油醸造です。紀州藩の手厚い保護を受けて販売網が拡張され、文化年間(1804〜1818)には 92 軒もの醤油屋が営業していたといわれています。
明治維新以後は藩の保護がなくなり、醤油醸造家は大幅に減少しましたが、醤油醸造などを中心に発展した湯浅の町並みはその重厚な歴史的風致が今日によく伝えていることから平成 18年 12月 19日に全国初の醤油醸造町として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。』
保存地区の東端に来訪者駐車場がありますので、ここにクルマを置いて散策開始です。
白壁と木板の建物が美しいです。
駐車場から西に向かって延びる北町通りと呼ばれるメインの通り。
『手作り行灯・麹資料館: かつては醸造に用いる麹の製造販売所。母屋は明治 11 年の建築。』
なお、軒下に下げられている板は幕板といって、屋内に風雨が吹き込むのを防ぐために設けられているそうです。
『竹林家: 長大な間口に 6 つの虫籠窓(むしこまど)がずらりと並ぶ主屋は、古くは醤油と漁網の販売を営んでいました。』
『虫籠窓: 近世から近代初頭頃の建物の 2 階に見られる窓で格子を漆喰で塗り固められています。四角形や木瓜型に分かれますが、周囲に額縁を施した重厚なものなど様々なデザインがあります。』
こちらも虫籠窓の建物。デコポンが無人販売されていました。
戸津井醤油醸造場
『太田久助吟製: 建築年代は江戸後期。元は醤油醸造家でしたが、現在は金山寺味噌の製造を行っています。』
老舗の醤油屋、角長さん。
こちらは工場でしょうか。とても趣きのある建物です。
角長さんの裏手には大仙堀があります。
『大仙堀: 醤油の原材料や商品が積み下ろしされた内港。石積の堀に立ち並ぶ醤油蔵など独特な光景を形成しています。』
私自身、とあるガイドブックで見たこの光景に魅せられ、湯浅を訪れた次第です。
上写真右側は道路になっていますが、大正時代には貨物の専用線がこの位置に敷かれていたそうです。
メインの通りと直角に細い路地が走っていました。
その路地を進んだところにあった甚風呂というお風呂屋さん。内部は資料館になっています。ひし形の窓が素敵です。
『せいろミュージアム: 町並み全体を民族資料館に見立て、湯浅にゆかりのある詩歌や古民具をせいろや繭作りに使うもろ蓋を使って展示しています。』
その他、町並みの光景。
ところどころに木製のベンチがありました。建物を見ながらちょっと休みにはよいですね。
保存地区の大きさは東西 400m、南北 280m とそれほど大きくありませんので 1 〜 2 時間ほどで散策できます。
来訪者駐車場が 6 台分のみであることが示すように、観光客でごった返すような町ではないと思います。出会った方も「なんてことない普通の町なんだけどね」というようなことを話されていましたが、私にとって地元の日本海側では見かけない趣きのある建物や路地、十分魅力的でした。
おまけです。
湯浅を訪れる前、有田川沿いを高野山へと通じる国道 480 号線を 50 分ほど遡ったところにある棚田、あらぎ島(リンク先は TIC わかやま旅案内所とさせていただきました)を見てきました。
日本棚田百選の一つでもあるあらぎ島、U字に蛇行する川の内側に作られた扇状の美しい棚田です。
展望台の背後の丘の上に神社が見えたので登ってみました。
蔵王神社という神社からはあらぎ島の一部も含め、周囲の里山風景が一望できました。
朝だったこともあり、そこかしこからコケコッコーと鶏の鳴き声も聞こえ、なんとものどかな雰囲気に浸ることができました。
筒石 [町並み・集落 散策]
こんにちは。
11月1日に糸魚川駅構内で行われた、えちごトキめき鉄道の新造ディーゼルカー ET122 型の車両見学会に行ってきました。
JR西日本の姫新線用キハ122をベースに新造、主に北陸本線を引き継ぐ直江津駅-泊駅間で使用されます。
雨天にも関わらず地元の方を中心に長い行列。
2列+1列の転換クロスシートを備えた車内。2列シート側が海側になります。
ワンマン運転仕様で、1両または2両編成で運用される予定です。
ここからが当記事のメインの内容です。
このような機会でもありましたので、車両見学会へは列車で往復し、帰りに筒石駅で途中下車してみました。
筒石駅は言わずと知れた北陸本線頸城トンネル(長さ11,353m)の途中、地下40mのトンネル内に設けられた地下駅です。
すでにワンマン運転用のミラーが設置されていました。
通過列車が通るとき、ものすごい風の音と走行音がホームドアの内側まで響いてきます。ちょうどドアのすぐ向こう側を特急はくたかが通過中。
地表の駅舎からの階段段数は下りホームへは 290段、上りホームへは 280段。
山中の谷間に筒石駅舎があります。
トンネル駅として有名な筒石、本来の筒石は海岸に沿って細長く伸びた集落。集落や漁港には筒石ならではの光景を目にすることができます。
筒石駅から筒石集落へ山道を下ること約 800m。途中、北陸自動車道の橋の下を通ります。
海沿いの高台へと出ました。下の道路は国道8号線。
かつての北陸本線は海岸沿いを走っており、道路の先のほう、住宅が集まったあたりに旧筒石駅がありました。
筒石漁港には大きな木造の舟屋が並んでいます。
厳しい冬の風雪に長年さらされ、ところどころ朽ち果てていますが、まだ現役です。
このような立派な木造の舟屋は、近辺に見当たりません。
漁協事務所も立派な木造。
集落の東側は断崖になっています。昔から地すべりの多い地、木々に覆われ分かりづらくなっていますが、斜面全体が網目のコンクリートで塗り固められています。
その斜面の下には小さな舟屋が並んでいます。舟屋は静かな湾や防波堤内に建てられている場合がほとんどですが、ここの舟屋は波の荒い外海に直接面しています。
筒石漁港の舟屋からまっすぐに細い路地が伸びており、その両側には間口の狭い住宅がびっしりと立ち並んでいます。
間口が狭いため、3階建ての住宅が多いのが筒石の特徴です。
さらに家と家の隙間も人ひとりが通れるほどの路地がいくつもあります。この狭い路地に面して玄関がある家もあります。
筒石集落と背後の斜面との間に旧北陸本線と旧国道が通っていました。
海岸沿いの線路が複線電化を機にトンネル内に移されたのが昭和44年でした。
旧線路のレンガの橋台も残っています。
この場所には踏切があったのでしょう。
直江津から糸魚川間の旧北陸本線の路盤のほとんどは久比岐自転車歩行者道として現在も利用可能です。
旧の線路が現役だったとして、冒頭に書きましたえちごトキめき鉄道のディーゼルカーがここを走っていく姿を想像してみたりしました。
もし、トンネル内の筒石駅を見るために途中下車したら、次の列車までを待つまでのあいだ、少し足をのばして筒石の町並みを散策してみるのは如何でしょうか。筒石駅から1時間30分ほどで漁港や集落を散策して来れます。
11月1日に糸魚川駅構内で行われた、えちごトキめき鉄道の新造ディーゼルカー ET122 型の車両見学会に行ってきました。
JR西日本の姫新線用キハ122をベースに新造、主に北陸本線を引き継ぐ直江津駅-泊駅間で使用されます。
雨天にも関わらず地元の方を中心に長い行列。
2列+1列の転換クロスシートを備えた車内。2列シート側が海側になります。
ワンマン運転仕様で、1両または2両編成で運用される予定です。
ここからが当記事のメインの内容です。
このような機会でもありましたので、車両見学会へは列車で往復し、帰りに筒石駅で途中下車してみました。
筒石駅は言わずと知れた北陸本線頸城トンネル(長さ11,353m)の途中、地下40mのトンネル内に設けられた地下駅です。
すでにワンマン運転用のミラーが設置されていました。
通過列車が通るとき、ものすごい風の音と走行音がホームドアの内側まで響いてきます。ちょうどドアのすぐ向こう側を特急はくたかが通過中。
地表の駅舎からの階段段数は下りホームへは 290段、上りホームへは 280段。
山中の谷間に筒石駅舎があります。
トンネル駅として有名な筒石、本来の筒石は海岸に沿って細長く伸びた集落。集落や漁港には筒石ならではの光景を目にすることができます。
筒石駅から筒石集落へ山道を下ること約 800m。途中、北陸自動車道の橋の下を通ります。
海沿いの高台へと出ました。下の道路は国道8号線。
かつての北陸本線は海岸沿いを走っており、道路の先のほう、住宅が集まったあたりに旧筒石駅がありました。
筒石漁港には大きな木造の舟屋が並んでいます。
厳しい冬の風雪に長年さらされ、ところどころ朽ち果てていますが、まだ現役です。
このような立派な木造の舟屋は、近辺に見当たりません。
漁協事務所も立派な木造。
集落の東側は断崖になっています。昔から地すべりの多い地、木々に覆われ分かりづらくなっていますが、斜面全体が網目のコンクリートで塗り固められています。
その斜面の下には小さな舟屋が並んでいます。舟屋は静かな湾や防波堤内に建てられている場合がほとんどですが、ここの舟屋は波の荒い外海に直接面しています。
筒石漁港の舟屋からまっすぐに細い路地が伸びており、その両側には間口の狭い住宅がびっしりと立ち並んでいます。
間口が狭いため、3階建ての住宅が多いのが筒石の特徴です。
さらに家と家の隙間も人ひとりが通れるほどの路地がいくつもあります。この狭い路地に面して玄関がある家もあります。
筒石集落と背後の斜面との間に旧北陸本線と旧国道が通っていました。
海岸沿いの線路が複線電化を機にトンネル内に移されたのが昭和44年でした。
旧線路のレンガの橋台も残っています。
この場所には踏切があったのでしょう。
直江津から糸魚川間の旧北陸本線の路盤のほとんどは久比岐自転車歩行者道として現在も利用可能です。
旧の線路が現役だったとして、冒頭に書きましたえちごトキめき鉄道のディーゼルカーがここを走っていく姿を想像してみたりしました。
もし、トンネル内の筒石駅を見るために途中下車したら、次の列車までを待つまでのあいだ、少し足をのばして筒石の町並みを散策してみるのは如何でしょうか。筒石駅から1時間30分ほどで漁港や集落を散策して来れます。
五箇山合掌造り集落 [町並み・集落 散策]
こんばんは。
富山県、南砺市の五箇山、合掌造りの民家が集まった、世界遺産にも指定されている2か所の集落、相倉と菅沼集落を訪れました。
相倉集落。早朝に行ってみたのですが、観光は8:30からお願いします、と看板が立てられていたため、駐車場からと集落を見下ろす展望台から遠目に集落を眺めました。
相倉集落には20棟の合掌造りの民家があるそうです。
五箇山合掌集落は庄川の深い谷間にあります。庄川と並行して走る国道156号線は景色がよく楽しいドライブができる道です。相倉から菅沼へ向う途中に、このような渡らずの橋もあります。
菅沼集落。
菅沼集落には9棟の合掌造りの民家があるそうです。駐車場にクルマを入れると、係員の方が丁寧に散策順路を教えてくれました。
集落の中を巡ったあと、トンネル内に設けられたエレベータで国道沿いの展望台へ上がり、上から集落を眺めるという順路になっています。
集落内に民芸品店がありました。
うさぎの民芸品を購入。野菜の上にちょこんと乗っているうさぎ、他にも大根などいくつかのバリエーションがありました。
合掌造りの集落では白川郷の荻町地区が最大の集落ですが、当日は駐車場待ちのクルマが国道までずっと列をなしていました。
白川郷に比べると五箇山の集落の規模は小さいですが、その分空いていてのんびり散策することができました。
富山県、南砺市の五箇山、合掌造りの民家が集まった、世界遺産にも指定されている2か所の集落、相倉と菅沼集落を訪れました。
相倉集落。早朝に行ってみたのですが、観光は8:30からお願いします、と看板が立てられていたため、駐車場からと集落を見下ろす展望台から遠目に集落を眺めました。
相倉集落には20棟の合掌造りの民家があるそうです。
五箇山合掌集落は庄川の深い谷間にあります。庄川と並行して走る国道156号線は景色がよく楽しいドライブができる道です。相倉から菅沼へ向う途中に、このような渡らずの橋もあります。
菅沼集落。
菅沼集落には9棟の合掌造りの民家があるそうです。駐車場にクルマを入れると、係員の方が丁寧に散策順路を教えてくれました。
集落の中を巡ったあと、トンネル内に設けられたエレベータで国道沿いの展望台へ上がり、上から集落を眺めるという順路になっています。
集落内に民芸品店がありました。
うさぎの民芸品を購入。野菜の上にちょこんと乗っているうさぎ、他にも大根などいくつかのバリエーションがありました。
合掌造りの集落では白川郷の荻町地区が最大の集落ですが、当日は駐車場待ちのクルマが国道までずっと列をなしていました。
白川郷に比べると五箇山の集落の規模は小さいですが、その分空いていてのんびり散策することができました。