くま川鉄道、いさぶろう、はやとの風 [鉄道関係]
こんばんは。
人吉温泉に宿泊した翌日の乗り鉄旅は、まず、くま川鉄道に乗車しました。
もと国鉄湯前線だったくま川鉄道の起点駅は人吉温泉駅。JR 人吉駅に隣接、というよりホームが隣合っている駅ですが、くま川鉄道側の駅名は「温泉」がついています。
観光列車「田園シンフォニー」に使われる車両の単行ワンマン列車で往復します。
車内は、メルヘンチックな造り。私が往復とも座った車両中央部の座席は背もたれが木の板なので、ちょっと背中が痛くなったかな。
前面展望できる場所はお子様専用でしょうか。
8:21 人吉温泉駅を出発するとすぐ JR 肥薩線に合流。500m ほど線路を共用したあと肥薩線と分岐します。
木上駅の待合室に文化財の銘板が貼られていました。
後で確認してみるとくま川鉄道の前身湯前線は大正 13 年に開業した当時の建造物がまとまって残っていることから、駅舎や橋梁などの建造物 19 件が平成 26 年 12 月 19 日に国の有形文化財に登録されました。木上駅は待合室とホームが文化財になっているとのことです。
朝霧の中を進むと、沿線で唯一の交換可能駅、その名もあさぎり駅(旧免田駅)。
淡々と人吉盆地を走り、9:03 終点湯前駅に着きました。湯前駅舎も文化財に登録されています。
同じ車両の折り返し 9:10 発の列車に再度乗車。
くま川鉄道の車窓は観光列車「田園シンフォニー」の名が示す通り、終始田園風景が広がるのんびりした景色でした。
人吉駅に戻って来ました。ホームの駅弁立ち売りの姿は今では貴重な存在です。
次に乗るのは「いさぶろう 1 号」。人吉-吉松間のループ線やスイッチバックなど山越え区間を堪能できる観光列車です。座席のほとんどが指定席になっています。当日は休日でしたので増結 3 両編成でしたが、ボックスシートは 1 〜 2 人程度の占有率でした。アテンダントさんの観光案内があります。
10:09 人吉駅を発車し、球磨川を渡ると 25 パーミルの登り勾配が連続する区間となってゆっくりと急坂を登っていきます。
半径 300m のループ線の途中に 3 段式スイッチバックが設けられた大畑駅。
「いさぶろう」は各駅で 5 分程度停車時間が設けられており、駅に着くたびに列車を降りてホームを散策、駅舎を見物することができます。また地元の方が売っている農産物やお土産を買うこともできます。大畑駅では駅舎の壁に名刺を貼ると出世するという言い伝えがあるそうです。
ホーム端からスイッチバックする線路が見えるはずですが霧でした。大畑駅のスイッチバックは小規模な 3 段式になっていて通り抜けできない構造です。3 段式の高低差はわずかなため、もう少し工夫すれば通り抜けできる構造にできそうですが開通当時は SL 運行で必ず水の補給が必要だったそうですので、わざわざ通り抜けできる構造にする必要がなかったのでしょうか。
大畑駅を逆向きに発車し、スイッチバックします。前面展望は車内のモニタで見ることができます。
再び向きを変えて発車。ループ線を一周します。途中、ループ線の様子が分かる場所で一旦停車するのですが霧でよく見えませんでした。
大畑駅と次の矢岳駅の間に線区中、最急勾配 30.3 パーミルの区間があり、それを登りきると肥薩線最高所の駅、矢岳駅です。標高は 537m になります。
周囲は標高が高い峠の駅とは思えない農村風景。
この先、ほどなく行くと峠を貫く長さ 2,096m の矢岳第一トンネルがあります。
開通当初は鹿児島へのメインルートだった肥薩線、難工事の末に開通した区間であることを表すように、トンネル坑口の石額に「天険若夷」(天下の難所を平地のようにした)、「引重敬遠」(重いものを遠くへ運べる)が書かれており、それを記した当時の逓信大臣、鉄道員総裁の名前をとって、この区間を走る観光列車を「いさぶろう」「しんぺい」と名付けられています。
峠を越えると、日本三大車窓で知られる絶景ポイントで一時停車。晴れていれば霧島連山や桜島が望めるビューポイントです。
真幸駅も通り抜け不可能なスイッチバック駅。熊本県と鹿児島県を結ぶ肥薩線ですが、真幸駅だけ宮崎県の駅です。
ホームに幸せの鐘があり、皆さん順番にカーンカーンと鐘をついていました。
25 パーミルの急勾配を下ると左から吉都線が近づき、終点吉松駅に到着しました。
折り返し「しんぺい」となる列車を大勢の観光客がホームで待っていました。
次は 3 分の接続で特急「はやとの風 1 号」に乗り換えです。2 両編成の後ろの車両は「指宿のたまて箱」の車両でした。車体の中央で縦一直線に塗り分けられた斬新な塗色。私はあしゅら男爵を思い起こしました。
吉松駅を 11:25 発車。「はやとの風」は特急と名乗っていながら観光列車なので肥薩線内で古い駅舎が残る大隅横川駅と嘉例川駅でそれぞれ 5 分ほど停車するため、ホームや駅舎を見物することができます。またアテンダントさんが乗車しており、観光案内や車内販売があります。
大隅横川駅。明治 36 年開業当時の駅舎。白黒にしてみました。
ホームに懐かしいタブレット受取器が残っていました。
嘉例川駅も明治 36 年開業当時の駅舎で有名です。
古い駅舎で見られる高い天井の待合室。
駅舎の横の大きな木も開業当時からずっと駅を見守ってきたのでしょうか。
隼人駅から日豊本線を走り、鹿児島中央駅へ向かいます。錦江湾と桜島が眺められる区間です。桜島は頂上が隠れていました。
12:49 終点、鹿児島中央駅に到着しました。
「いさぶろう」「はやとの風」に乗車してきましたが、いくつかの駅でやや長い時間の停車があり、そのたびに列車を降りて簡単な散策を楽しめる列車でした。乗りっぱなしも良いのですが、同じ列車で移動するも、外へ出て山の空気を吸ったり、古い駅舎の歴史を感じたりと変化があり、居眠りしているヒマはない楽しい乗り鉄旅でした。
ちょうど昼すぎのため、鹿児島らしいものを食べたいと思っていましたが、仕事が入ってしまって駅周辺で昼食を食べることができず、用事を終わらせ、急いで 13:40 発の新大阪行き「さくら 558 号」に乗車します。連休帰りの人たちで自由席は始発から混雑していたようです。
このまま新幹線で帰宅・・・ではなく、新鳥栖駅で下車。
乗り鉄中心の旅はここまで。今度はレンタカーを使って、もう一日、鉄道で行きづらい温泉を巡ってみることにします。
★おまけ:最近のはるちゃん★
太陽が低い冬は、部屋の奥のケージまで届く陽の光を浴びて、うっとり昼寝。
人吉温泉に宿泊した翌日の乗り鉄旅は、まず、くま川鉄道に乗車しました。
もと国鉄湯前線だったくま川鉄道の起点駅は人吉温泉駅。JR 人吉駅に隣接、というよりホームが隣合っている駅ですが、くま川鉄道側の駅名は「温泉」がついています。
観光列車「田園シンフォニー」に使われる車両の単行ワンマン列車で往復します。
車内は、メルヘンチックな造り。私が往復とも座った車両中央部の座席は背もたれが木の板なので、ちょっと背中が痛くなったかな。
前面展望できる場所はお子様専用でしょうか。
8:21 人吉温泉駅を出発するとすぐ JR 肥薩線に合流。500m ほど線路を共用したあと肥薩線と分岐します。
木上駅の待合室に文化財の銘板が貼られていました。
後で確認してみるとくま川鉄道の前身湯前線は大正 13 年に開業した当時の建造物がまとまって残っていることから、駅舎や橋梁などの建造物 19 件が平成 26 年 12 月 19 日に国の有形文化財に登録されました。木上駅は待合室とホームが文化財になっているとのことです。
朝霧の中を進むと、沿線で唯一の交換可能駅、その名もあさぎり駅(旧免田駅)。
淡々と人吉盆地を走り、9:03 終点湯前駅に着きました。湯前駅舎も文化財に登録されています。
同じ車両の折り返し 9:10 発の列車に再度乗車。
くま川鉄道の車窓は観光列車「田園シンフォニー」の名が示す通り、終始田園風景が広がるのんびりした景色でした。
人吉駅に戻って来ました。ホームの駅弁立ち売りの姿は今では貴重な存在です。
次に乗るのは「いさぶろう 1 号」。人吉-吉松間のループ線やスイッチバックなど山越え区間を堪能できる観光列車です。座席のほとんどが指定席になっています。当日は休日でしたので増結 3 両編成でしたが、ボックスシートは 1 〜 2 人程度の占有率でした。アテンダントさんの観光案内があります。
10:09 人吉駅を発車し、球磨川を渡ると 25 パーミルの登り勾配が連続する区間となってゆっくりと急坂を登っていきます。
半径 300m のループ線の途中に 3 段式スイッチバックが設けられた大畑駅。
「いさぶろう」は各駅で 5 分程度停車時間が設けられており、駅に着くたびに列車を降りてホームを散策、駅舎を見物することができます。また地元の方が売っている農産物やお土産を買うこともできます。大畑駅では駅舎の壁に名刺を貼ると出世するという言い伝えがあるそうです。
ホーム端からスイッチバックする線路が見えるはずですが霧でした。大畑駅のスイッチバックは小規模な 3 段式になっていて通り抜けできない構造です。3 段式の高低差はわずかなため、もう少し工夫すれば通り抜けできる構造にできそうですが開通当時は SL 運行で必ず水の補給が必要だったそうですので、わざわざ通り抜けできる構造にする必要がなかったのでしょうか。
大畑駅を逆向きに発車し、スイッチバックします。前面展望は車内のモニタで見ることができます。
再び向きを変えて発車。ループ線を一周します。途中、ループ線の様子が分かる場所で一旦停車するのですが霧でよく見えませんでした。
大畑駅と次の矢岳駅の間に線区中、最急勾配 30.3 パーミルの区間があり、それを登りきると肥薩線最高所の駅、矢岳駅です。標高は 537m になります。
周囲は標高が高い峠の駅とは思えない農村風景。
この先、ほどなく行くと峠を貫く長さ 2,096m の矢岳第一トンネルがあります。
開通当初は鹿児島へのメインルートだった肥薩線、難工事の末に開通した区間であることを表すように、トンネル坑口の石額に「天険若夷」(天下の難所を平地のようにした)、「引重敬遠」(重いものを遠くへ運べる)が書かれており、それを記した当時の逓信大臣、鉄道員総裁の名前をとって、この区間を走る観光列車を「いさぶろう」「しんぺい」と名付けられています。
峠を越えると、日本三大車窓で知られる絶景ポイントで一時停車。晴れていれば霧島連山や桜島が望めるビューポイントです。
真幸駅も通り抜け不可能なスイッチバック駅。熊本県と鹿児島県を結ぶ肥薩線ですが、真幸駅だけ宮崎県の駅です。
ホームに幸せの鐘があり、皆さん順番にカーンカーンと鐘をついていました。
25 パーミルの急勾配を下ると左から吉都線が近づき、終点吉松駅に到着しました。
折り返し「しんぺい」となる列車を大勢の観光客がホームで待っていました。
次は 3 分の接続で特急「はやとの風 1 号」に乗り換えです。2 両編成の後ろの車両は「指宿のたまて箱」の車両でした。車体の中央で縦一直線に塗り分けられた斬新な塗色。私はあしゅら男爵を思い起こしました。
吉松駅を 11:25 発車。「はやとの風」は特急と名乗っていながら観光列車なので肥薩線内で古い駅舎が残る大隅横川駅と嘉例川駅でそれぞれ 5 分ほど停車するため、ホームや駅舎を見物することができます。またアテンダントさんが乗車しており、観光案内や車内販売があります。
大隅横川駅。明治 36 年開業当時の駅舎。白黒にしてみました。
ホームに懐かしいタブレット受取器が残っていました。
嘉例川駅も明治 36 年開業当時の駅舎で有名です。
古い駅舎で見られる高い天井の待合室。
駅舎の横の大きな木も開業当時からずっと駅を見守ってきたのでしょうか。
隼人駅から日豊本線を走り、鹿児島中央駅へ向かいます。錦江湾と桜島が眺められる区間です。桜島は頂上が隠れていました。
12:49 終点、鹿児島中央駅に到着しました。
「いさぶろう」「はやとの風」に乗車してきましたが、いくつかの駅でやや長い時間の停車があり、そのたびに列車を降りて簡単な散策を楽しめる列車でした。乗りっぱなしも良いのですが、同じ列車で移動するも、外へ出て山の空気を吸ったり、古い駅舎の歴史を感じたりと変化があり、居眠りしているヒマはない楽しい乗り鉄旅でした。
ちょうど昼すぎのため、鹿児島らしいものを食べたいと思っていましたが、仕事が入ってしまって駅周辺で昼食を食べることができず、用事を終わらせ、急いで 13:40 発の新大阪行き「さくら 558 号」に乗車します。連休帰りの人たちで自由席は始発から混雑していたようです。
このまま新幹線で帰宅・・・ではなく、新鳥栖駅で下車。
乗り鉄中心の旅はここまで。今度はレンタカーを使って、もう一日、鉄道で行きづらい温泉を巡ってみることにします。
★おまけ:最近のはるちゃん★
太陽が低い冬は、部屋の奥のケージまで届く陽の光を浴びて、うっとり昼寝。
九州乗り鉄の旅の続き、
今回はくま川鉄道と肥薩線を楽しまれたのですね(^^)
くま川鉄道は素朴なローカル線ながら、
車両に工夫が感じられますよね〜。
そして肥薩線は何といっても、
スイッチバックやループ線などの線形や、
所々に見られる古い木造駅舎など、
見所が満載で楽しい路線ですよね(^^)
モノクロカットにした大隅横川駅の駅舎、
味のあるお写真ですね♪
by あおたけ (2016-01-08 20:19)
あおたけ様、こんばんは。
くま川鉄道の田園シンフォニー車両は、外向き、内向き、仕切り付きのクロスシートなど多彩な座席配置で、また調度品や本なども置かれ景色以外にも楽しめる要素満載でした。
肥薩線のいさぶとう、はやとの風とも、見どころでの一旦停車や、主要駅に一定時間の停車があり、途中下車して次の列車を待たなくても簡単な観光も一緒に楽しめるのが魅力でした。
できれば停車時間を 10 分程度にしてもらえたら、あくせくせずもう少しゆっくりと駅見物ができたのではと思います。
by TakiHaru (2016-01-08 23:01)
はるちゃん気持ちよさそうに寝ていますね。お日様があったかくて気持ちいいんでしょうね。
by みぃにゃん (2016-01-09 13:29)
みぃにゃん様、こんばんは。
冬は外でべらんぽできず、また太陽が出る日はごくわずかので、このような機会を大事にさせてあげたいと思います。
ところで、年末からはるちゃんを抱っこできない状況が続いていたのですが、今日、突然もとに戻って抱っこや抱え込みができるようになり、またはるちゃんから寄ってきてくれるようになりました。嬉しいですが今まではいったい何だったのか不思議です。
by TakiHaru (2016-01-09 21:17)