乗り鉄旅行・・・磐越西線、米坂線など [鉄道関係]
こんにちは。
ゴールデンウィークに日帰りで乗り鉄旅へ出かけました。
早朝、新潟までクルマで移動し、新潟駅発着でぐるっと一周しました。
◆ 新潟 5:17 → 新津 5:36 : 普通列車長岡行き
信越本線の朝いちばんの列車で出発。3 年連続でゴールデンウィークにこの列車に乗っていますが、早朝なのにいつも若い人で満員なのです。よくよく考えたら前日は成人式(新潟県は私の地元含め、ゴールデンウィークに成人式を行う自治体が多いです)だったので、オールナイトで飲んでいたのでしょう。
◆ 新津 6:00 → 会津若松 8:49 : 普通列車会津若松行き
2 両編成の後ろの車両は冒頭の写真のように懐かしいタラコ色気動車だったので、この車両に乗車。
車内はすいていました。福島県の山都駅まで反対側のボックスシートに誰も来ず、阿賀野川の流れに応じて席を左右に移動できました。
津川付近は朝霧で曇っていましたが・・・
新潟福島県境に近づくと晴れてきて、阿賀野川のゆったりした流れ、新緑の里山風景、残雪で真っ白な飯豊連峰などの眺めを楽しめました。
◆ 会津若松 9:09 → 磐梯熱海 9:56 : 快速列車郡山行き
源泉かけ流しの駅近温泉がある、磐梯熱海駅で途中下車しました。
駅横の狭い路地を入ったところ、共同場「霊泉」元湯にお邪魔しました。
メイン浴槽は 30 度ほどのぬる湯、奥に小さいあつ湯がありました。ぬる湯といってもこの時季は冷たく感じます。一方のあつ湯は 43 度くらいで本当に熱め。あつ湯でガツンと温まったあと、ぬる湯で冷やす温冷交互浴が楽しめました。ただ私はかなり心臓に負担かかっていそうなので、あまりこの入浴法は好きではありません。真夏だったらぬる湯がとても気持ちよさそう。夏に訪ねてみたい湯でした。
さっぱりしたところで乗り鉄旅を継続。
◆ 磐梯熱海 10:51 → 郡山 11:11 : 普通列車郡山行き
郡山で自宅へのお土産に定番の薄皮饅頭と檸檬を購入しました。
◆ 郡山 11:39 → 福島 12:27 : 普通列車福島行き
右側窓側に座りましたが、左窓に残雪の安達太良山や吾妻小富士などの山々が眺められました。左側に座ればよかったかな。
◆ 福島 12:51 → 米沢 13:38 : 普通列車米沢行き
発車まで 30 分近くあるのにすでに席はかなり埋まっていました。なんとか右側窓側の席を確保することができてほっとしました。
福島-米沢間は板谷峠越えの難所。最大 38 パーミルの急勾配があります。電車のモーターも一際大きくうなっているように思えました。
山深い区間ですので車窓の新緑が美しかったです。
かつて 4 連続スイッチバックだった駅の遺構も見どころ。武骨な雪覆いが格好いいです。
峠駅では短い停車時間で乗客が急いで駆け降りて峠の力餅を買っていました。そうか、峠の力餅は完全ノーマークだった。お土産にしたかったな。また別の機会に買いに来よう。
◆ 米沢 13:40 → 赤湯 13:56 : 普通列車山形行き
赤湯駅で下車後、タクシーで熊野大社を訪ねました。
本殿裏の彫刻には三羽のうさぎが彫られているそうです。三羽すべて見つけると願いが叶うとのこと。しかし三羽目を人から聞いたりすると御利益がなくなるそうです。
ここに二羽のうさぎがいます。
あと一羽が分からない。ヒントは「波にうさぎ」と「透かし彫り」だと以前訪ねたときにガイドさんから聞きました。おそらく三羽目は僧侶が見える場所の反対側だと思っているのですが自信はありません。
今回、うさぎのかわいい陶器に入ったおみくじは売り切れてしまっていたようでした。
熊野大社の門前町の商店街は、以前「おごやい うさぎ商店街」という幟が掲げられていました。今回は幟が無かったです。やめてしまったのかな。
山形鉄道フラワー長井線の宮内駅まで歩いて来ました。
熊野大社の三羽のうさぎにちなみ、以前は三羽いたうさぎさん、今は駅長の「もっちい」さんがいます。変わらず元気そうで安心しました。もうすぐ 9 歳になるそうですが、これからも元気で過ごしてほしいです。
◆ 宮内 15:18 → 赤湯 15:23 : フラワー長井線普通列車赤湯行き
◆ 赤湯 15:27 → 米沢 15:39 : つばさ 146 号
次に乗る米坂線の列車で確実に席を確保したいので、つばさ号でワープしました。米沢駅はおいしそうな駅弁が並んでいました。
せっかくなので夕食用に「牛肉どまん中」を購入しました(家帰ってからビールと一緒にいただきました)。あとで調べると購入したノーマルタイプ(醤油だれ?)の他、塩だれや味噌だれのお弁当もあるようです。今度は別の味を食べてみたいな。
◆ 米沢 16:16 → 坂町 18:29 : 普通列車坂町行き
ちょうど西日がまぶしい時間。キハ 110 型だったらカーテン閉めないと眩しかったところ、新型気動車は熱線吸収ガラスなのでまぶしさをあまり感じず、緑色にフィルターかかって見えるとはいえ、車窓が見れたのは良かったな。
今泉駅を出て、いったん合流したフラワー長井線が分岐していきます。背後の山はうさぎ伝説がある葉山。うさぎにまつわる名所が多いフラワー長井線沿線を、またじっくり訪ねてみたいです。
右側の窓側に座っていましたが、伊佐領-羽前松岡間で、進行方向前方に残雪で真っ白な飯豊連峰が見えました。
小国駅です。対向列車行き違いで 20 分ほど停車。
この先、荒川峡の渓谷を眺めながら新潟県へ戻ると、終点坂町駅に着きました。
ちょうど太陽が沈んでいきました。海沿いだったらきっと素晴らしい日没が見れたことでしょう。
◆ 坂町 19:04 → 新潟 20:17 : 普通列車吉田行き
出発地の新潟駅へ帰ってきました。
今年のゴールデンウィークは本来 10 連休でしたが、半分の日数が仕事、それ以外でもはるちゃんの通院があったりして、出かける計画が立てられませんでした。そんな中、急に思い立って日帰り鉄道旅行に出かけました。当日は天気がよく、車窓から残雪の山々、桜や新緑が眺められ、短時間ながらもよい鉄道旅ができました。仕事のことなど忘れ、流れゆく景色をぼーっと眺めているだけで楽しいものでした。
★最近のはるちゃん★
はるちゃんは外のウッドデッキへ出たがらなくなってしまったな。元気に遊んでいるから別にいいのだけれど、ちょっと寂しいな。
高田市街地でクマが出たという話もあったし・・・当面は家の中が安全かも。
ゴールデンウィークに日帰りで乗り鉄旅へ出かけました。
早朝、新潟までクルマで移動し、新潟駅発着でぐるっと一周しました。
◆ 新潟 5:17 → 新津 5:36 : 普通列車長岡行き
信越本線の朝いちばんの列車で出発。3 年連続でゴールデンウィークにこの列車に乗っていますが、早朝なのにいつも若い人で満員なのです。よくよく考えたら前日は成人式(新潟県は私の地元含め、ゴールデンウィークに成人式を行う自治体が多いです)だったので、オールナイトで飲んでいたのでしょう。
◆ 新津 6:00 → 会津若松 8:49 : 普通列車会津若松行き
2 両編成の後ろの車両は冒頭の写真のように懐かしいタラコ色気動車だったので、この車両に乗車。
車内はすいていました。福島県の山都駅まで反対側のボックスシートに誰も来ず、阿賀野川の流れに応じて席を左右に移動できました。
津川付近は朝霧で曇っていましたが・・・
新潟福島県境に近づくと晴れてきて、阿賀野川のゆったりした流れ、新緑の里山風景、残雪で真っ白な飯豊連峰などの眺めを楽しめました。
◆ 会津若松 9:09 → 磐梯熱海 9:56 : 快速列車郡山行き
源泉かけ流しの駅近温泉がある、磐梯熱海駅で途中下車しました。
駅横の狭い路地を入ったところ、共同場「霊泉」元湯にお邪魔しました。
メイン浴槽は 30 度ほどのぬる湯、奥に小さいあつ湯がありました。ぬる湯といってもこの時季は冷たく感じます。一方のあつ湯は 43 度くらいで本当に熱め。あつ湯でガツンと温まったあと、ぬる湯で冷やす温冷交互浴が楽しめました。ただ私はかなり心臓に負担かかっていそうなので、あまりこの入浴法は好きではありません。真夏だったらぬる湯がとても気持ちよさそう。夏に訪ねてみたい湯でした。
さっぱりしたところで乗り鉄旅を継続。
◆ 磐梯熱海 10:51 → 郡山 11:11 : 普通列車郡山行き
郡山で自宅へのお土産に定番の薄皮饅頭と檸檬を購入しました。
◆ 郡山 11:39 → 福島 12:27 : 普通列車福島行き
右側窓側に座りましたが、左窓に残雪の安達太良山や吾妻小富士などの山々が眺められました。左側に座ればよかったかな。
◆ 福島 12:51 → 米沢 13:38 : 普通列車米沢行き
発車まで 30 分近くあるのにすでに席はかなり埋まっていました。なんとか右側窓側の席を確保することができてほっとしました。
福島-米沢間は板谷峠越えの難所。最大 38 パーミルの急勾配があります。電車のモーターも一際大きくうなっているように思えました。
山深い区間ですので車窓の新緑が美しかったです。
かつて 4 連続スイッチバックだった駅の遺構も見どころ。武骨な雪覆いが格好いいです。
峠駅では短い停車時間で乗客が急いで駆け降りて峠の力餅を買っていました。そうか、峠の力餅は完全ノーマークだった。お土産にしたかったな。また別の機会に買いに来よう。
◆ 米沢 13:40 → 赤湯 13:56 : 普通列車山形行き
赤湯駅で下車後、タクシーで熊野大社を訪ねました。
本殿裏の彫刻には三羽のうさぎが彫られているそうです。三羽すべて見つけると願いが叶うとのこと。しかし三羽目を人から聞いたりすると御利益がなくなるそうです。
ここに二羽のうさぎがいます。
あと一羽が分からない。ヒントは「波にうさぎ」と「透かし彫り」だと以前訪ねたときにガイドさんから聞きました。おそらく三羽目は僧侶が見える場所の反対側だと思っているのですが自信はありません。
今回、うさぎのかわいい陶器に入ったおみくじは売り切れてしまっていたようでした。
熊野大社の門前町の商店街は、以前「おごやい うさぎ商店街」という幟が掲げられていました。今回は幟が無かったです。やめてしまったのかな。
山形鉄道フラワー長井線の宮内駅まで歩いて来ました。
熊野大社の三羽のうさぎにちなみ、以前は三羽いたうさぎさん、今は駅長の「もっちい」さんがいます。変わらず元気そうで安心しました。もうすぐ 9 歳になるそうですが、これからも元気で過ごしてほしいです。
◆ 宮内 15:18 → 赤湯 15:23 : フラワー長井線普通列車赤湯行き
◆ 赤湯 15:27 → 米沢 15:39 : つばさ 146 号
次に乗る米坂線の列車で確実に席を確保したいので、つばさ号でワープしました。米沢駅はおいしそうな駅弁が並んでいました。
せっかくなので夕食用に「牛肉どまん中」を購入しました(家帰ってからビールと一緒にいただきました)。あとで調べると購入したノーマルタイプ(醤油だれ?)の他、塩だれや味噌だれのお弁当もあるようです。今度は別の味を食べてみたいな。
◆ 米沢 16:16 → 坂町 18:29 : 普通列車坂町行き
ちょうど西日がまぶしい時間。キハ 110 型だったらカーテン閉めないと眩しかったところ、新型気動車は熱線吸収ガラスなのでまぶしさをあまり感じず、緑色にフィルターかかって見えるとはいえ、車窓が見れたのは良かったな。
今泉駅を出て、いったん合流したフラワー長井線が分岐していきます。背後の山はうさぎ伝説がある葉山。うさぎにまつわる名所が多いフラワー長井線沿線を、またじっくり訪ねてみたいです。
右側の窓側に座っていましたが、伊佐領-羽前松岡間で、進行方向前方に残雪で真っ白な飯豊連峰が見えました。
小国駅です。対向列車行き違いで 20 分ほど停車。
この先、荒川峡の渓谷を眺めながら新潟県へ戻ると、終点坂町駅に着きました。
ちょうど太陽が沈んでいきました。海沿いだったらきっと素晴らしい日没が見れたことでしょう。
◆ 坂町 19:04 → 新潟 20:17 : 普通列車吉田行き
出発地の新潟駅へ帰ってきました。
今年のゴールデンウィークは本来 10 連休でしたが、半分の日数が仕事、それ以外でもはるちゃんの通院があったりして、出かける計画が立てられませんでした。そんな中、急に思い立って日帰り鉄道旅行に出かけました。当日は天気がよく、車窓から残雪の山々、桜や新緑が眺められ、短時間ながらもよい鉄道旅ができました。仕事のことなど忘れ、流れゆく景色をぼーっと眺めているだけで楽しいものでした。
★最近のはるちゃん★
はるちゃんは外のウッドデッキへ出たがらなくなってしまったな。元気に遊んでいるから別にいいのだけれど、ちょっと寂しいな。
高田市街地でクマが出たという話もあったし・・・当面は家の中が安全かも。
身近な風景、平成 31 年 4 月 [身近な風景]
こんにちは。
桜が満開だった 4 月中旬、上越妙高駅周辺を散策しました。
当日は快晴。妙高山、火打山がよく見えました。
ほくほく線の車両が乗り入れています。越後湯沢-直江津間は「超快速スノーラビット」だった新井行きの列車です。
日本海ひすいラインの気動車が乗り入れています。泊発新井行きという面白い列車。ズドドドドとエンジン音を響かせて加速していく様子は電車に無い迫力がありました。
この区間は明治 19 年に開通した古い路線です。写真の矢代川橋梁の橋台や橋脚は石積みで重厚感があり、開通当時から使われているのかも知れません。走っていく車両は時代とともに変化してきましたが、これからも変わらず列車を支えてくれることでしょう。
堤防に沿って桜並木がありました。
桜が咲く春は本当に素晴らしい季節ですね。
妙高山の雪形「はね馬」はまだ微妙でした。
走っていく列車は週ごとに列車名と行先が変わります。この日は新潟行きの「柳都 Shu*Kura」だったと思います。これから車内で日本酒を楽しみながら旅行をするのですね。いいな。
北陸新幹線が開業する半年前に、新幹線駅に在来線駅が横付けするよう、当時の信越本線が付け替えられました。真っ直ぐだった線路がこの場所で曲げられました。
旧脇野田駅は路盤含めすでに跡形がありません。この辺りは路盤はまだそのまま残っています。
高崎起点の距離標も残っています。
昭和初期まで東京-新潟を結ぶメインルート、その後、東京-北陸を結ぶルートの一つとして路線は続いてきました。そんな歴史を重ねてきた線路跡、このまま残っていて欲しいです。
木造橋があります。
近くの中学校の通学路になっている現役の橋です。よく見ると木材の組み方が格好いいです。拝み勾配がついているのも何だか素敵です。
歩くとコンクリート橋にない木の柔らかさを感じました。このような木造橋はほとんど見られなくなりました。豪雪地帯ではなおさらだと思います。この橋もいつまでも残っていて欲しいです。
木造橋の隣に、稲荷中江用水という用水路が流れています。サイフォン式の導水路で川の下を横断しています。
高田平野西部を潤すこの用水は以前からあった用水の水不足を補うため、江戸時代後期 1812 年に開通しました。現在は宅地化で水田が少なくなったのでしょうか、用水幅が狭くなり水量も少なくなりました。昔は轟々と水が流れ、サイフォンに渦を巻きながら吸い込まれていく様子は怖いくらいでした。
小学生の頃、遠足で用水に沿って歩き、取水口を訪ねたことがありました。現在、用水はどのように流れているのか、取水口から末端までいつかたどってみたくなりました。
その他、近所で見つけた山野草。イカリソウさんに・・・
ヒトリシズカさんでしょうか。
私のプロフィール画像はこの桜の写真を使っています。
夜はライトアップされていました。
おそらく樹齢 50 年くらいでしょうか。まだとても古木の風格はないかも知れませんが、大きく成長しました。近い年齢の私はいろいろな意味でこの桜のように大きくなれず、いつも下から見上げるばかりです。
★最近のはるちゃん★
平成最後に撮ったはるちゃん。
今朝のはるちゃん。
改元の瞬間は自宅で静かに迎えました。新しい時代をはるちゃんも一緒に迎えられたことは、とても喜ばしく思っています。
はるちゃんは平成と令和、2 つの時代を生きるうさぎになりました。
桜が満開だった 4 月中旬、上越妙高駅周辺を散策しました。
当日は快晴。妙高山、火打山がよく見えました。
ほくほく線の車両が乗り入れています。越後湯沢-直江津間は「超快速スノーラビット」だった新井行きの列車です。
日本海ひすいラインの気動車が乗り入れています。泊発新井行きという面白い列車。ズドドドドとエンジン音を響かせて加速していく様子は電車に無い迫力がありました。
この区間は明治 19 年に開通した古い路線です。写真の矢代川橋梁の橋台や橋脚は石積みで重厚感があり、開通当時から使われているのかも知れません。走っていく車両は時代とともに変化してきましたが、これからも変わらず列車を支えてくれることでしょう。
堤防に沿って桜並木がありました。
桜が咲く春は本当に素晴らしい季節ですね。
妙高山の雪形「はね馬」はまだ微妙でした。
走っていく列車は週ごとに列車名と行先が変わります。この日は新潟行きの「柳都 Shu*Kura」だったと思います。これから車内で日本酒を楽しみながら旅行をするのですね。いいな。
北陸新幹線が開業する半年前に、新幹線駅に在来線駅が横付けするよう、当時の信越本線が付け替えられました。真っ直ぐだった線路がこの場所で曲げられました。
旧脇野田駅は路盤含めすでに跡形がありません。この辺りは路盤はまだそのまま残っています。
高崎起点の距離標も残っています。
昭和初期まで東京-新潟を結ぶメインルート、その後、東京-北陸を結ぶルートの一つとして路線は続いてきました。そんな歴史を重ねてきた線路跡、このまま残っていて欲しいです。
木造橋があります。
近くの中学校の通学路になっている現役の橋です。よく見ると木材の組み方が格好いいです。拝み勾配がついているのも何だか素敵です。
歩くとコンクリート橋にない木の柔らかさを感じました。このような木造橋はほとんど見られなくなりました。豪雪地帯ではなおさらだと思います。この橋もいつまでも残っていて欲しいです。
木造橋の隣に、稲荷中江用水という用水路が流れています。サイフォン式の導水路で川の下を横断しています。
高田平野西部を潤すこの用水は以前からあった用水の水不足を補うため、江戸時代後期 1812 年に開通しました。現在は宅地化で水田が少なくなったのでしょうか、用水幅が狭くなり水量も少なくなりました。昔は轟々と水が流れ、サイフォンに渦を巻きながら吸い込まれていく様子は怖いくらいでした。
小学生の頃、遠足で用水に沿って歩き、取水口を訪ねたことがありました。現在、用水はどのように流れているのか、取水口から末端までいつかたどってみたくなりました。
その他、近所で見つけた山野草。イカリソウさんに・・・
ヒトリシズカさんでしょうか。
私のプロフィール画像はこの桜の写真を使っています。
夜はライトアップされていました。
おそらく樹齢 50 年くらいでしょうか。まだとても古木の風格はないかも知れませんが、大きく成長しました。近い年齢の私はいろいろな意味でこの桜のように大きくなれず、いつも下から見上げるばかりです。
★最近のはるちゃん★
平成最後に撮ったはるちゃん。
今朝のはるちゃん。
改元の瞬間は自宅で静かに迎えました。新しい時代をはるちゃんも一緒に迎えられたことは、とても喜ばしく思っています。
はるちゃんは平成と令和、2 つの時代を生きるうさぎになりました。